1 to 2 ワンワンにも負けそう

「御幸選手、こんばんは」
開口一番、やけに機嫌がいいなと思った。あいつが俺に「選手」と呼びかけるのは、飯が美味かった時とか、予想よりもレストランのコスパが良かった時とか、まあそんな感じ。存外分かりやすい。
今日の晩飯何食ったんだろ、この様子だと相当お気に召したらしい、なんて考えつつ、食堂の隅へ移動する。現在貸切となっているスペースには春キャンプに参加する球団の主要メンバーがわちゃついていて、その中で嫁と電話なんか始めようものなら、あらゆる言葉尻を取られて揶揄われかねない。
「わり、ちょっと移動してた。なんだっけ」
「え、もしかしてミーティング中だった?」
「いや、雑談。つーかもしミーティングしてたら電話出られねえよ」
「だよね、安心」
ここで安心、と言われるのは男として良いのか悪いのか、ちょっと判断しかねる部分だ。たまには私を優先しろ、と怒られたいような、実際にされたら面倒なような微妙な感情。あれだな。職業柄どうしても外に出る時間が長いから、その副作用みたいなもんだ。
「移動してもらって申し訳ないんだけど、お願い。ちょっとだけビデオ通話してもいい?」
別にいいけど。めずらしいな。
普段電話は俺からで、向こうからは文章での連絡が多い。俺のスケジュールが不定期だから、いつ確認してもいいように気を遣っていると言い張っていた。半分はそれなんだろうけど、おそらくもう半分は通勤の空き時間に書き溜めているからだろう、と予想している。昔から隙間時間の有効活用をひたすら吟味していたし、テトリスみたいに無駄を平たく埋めるのが好きな性分だ。
そんな奴が突然テレビ電話。
わずかに訝しみながらデータ整理用に持ち歩いているタブレットを開き、改めてかけ直す。
「あ、久々」
リビングで頬杖をつきながら手を振るあいつ。確かに顔を見て話すのは二週間ぶりだ。
「さっそくなんだけど、見せたいものがあって」
じゃーん、と多少子どもじみた効果音とともに掲げられた白黒の何か。箱、ではないな。ペラペラだ。紙か? 光沢がある。画質の問題かと思い、液晶に近寄って目を凝らすもよく分からない。
「……砂嵐?」
「違うよ!」
否定しながら、あいつはくすくすと笑い始め、しまいには口を手で覆ってしまった。なんだ、なんなんだ。
「あー、おっかしい。本当は帰ってきてから話そうと思ったんだけど。あと四日だし。でも待てなくて。これね、病院でもらったの! ここだよ、ここ! 見えない?」
……え、あ、え? 病院っていうのはつまり、つまりだな。
異常が見つかったんじゃなくて、嬉しい方の、ってこと? そっちの話って意味で。
えーっと、だから……そういうこと?
「……マジ?」
自分でも驚くほど、掠れた、絞り出した声。心臓がバクバクしている。かすかに指も震える。
「ね。すごいよね、妊活まだ一回しかしてないのに」
自身よりも慌て始めた俺を見て、あっち側は落ち着いてきたらしい。発言が露骨だ。
一方俺は、平常心を保とうと下を向いたり、眉根を寄せたり試みては、結局口元が緩んでしまい、画面に映る自分に耐えきれず目を瞑った。眉が下がって、数割増しでだらしない顔だった。打席でこんな表情見せたら、しばらく使ってもらえなくなるよな、って確信できてしまうほどに気の抜けた顔。
百面相をしながら聞いた話によると、最近やたらと体が重く、微熱っぽかったため風邪だと思ったそうだ。そんな中、藤原先輩から飯に誘われて「うつしたら悪い」と断り、察したマネージャー陣から検査を勧められたらしい。
慌てて薬局に駆け込み、検査薬を購入し、恐る恐る確認して、そりゃあもうぴしっと硬化。この辺りはなんか想像できるわ。
本人曰く、成長期の陸上経験から大人になっても生理周期が安定しづらく、来なくてもあまり気にしていなかった、と。
満を辞して病院へ赴き、正式に結果が出たため沖縄の俺へ連絡を寄越したわけだ。藤原先輩に頭上がらねえ。

説明を終えたあいつは、それは満足そうに、幸せそうに頬を染めて微笑んだ。
「御幸に似るといいな、顔」
顔だけかよ。

ここからは後日談。
なんと、この電話の一部始終を動画チャンネル用に一軍メンバーが収めていた。タイトルは「御幸選手に奥さんから電話」だってさ。そのままじゃねえか!
なんでも俺が式をあげてしばらく経つのに未だ嫁から苗字で呼ばれる時がある、というのを弄るためらしい。ちなみにその目的は達成してるよ。電話内であまりにも御幸を連呼するものだから、お前も御幸な、ってちょっと思ってた。
とはいえ会話の半ばから俺も相当焦っていたため、後ろが同様にざわついていることへ全く気が付かず。
言い分によると遠目で声をあげないよう頑張っていた、と。終盤のあたりに音を立てず近づいてきて、電話を切った俺へ「今のお気持ちは!」とカメラを向けてきた奴らの台詞か! お陰様で緩んだ顔がはっきりと記録に残ってしまった。少しはゆっくりと噛み締めさせろ。させてくれ。
出産が無事に終わり、俺がそれらの事実を正式に世間へ報告した後、あくまでも球団の裏側であった話として動画は投稿された。わりと再生数は伸びているらしい。絶対見ねえ。沢村から再生数に貢献しました、と連絡が来たので既読無視している。

ちなみに「パパ」は「ブーブー」だけではなく「じいじ」にも惨敗し、だいぶショックを受けた。ブーブーは毎日使っているおもちゃだからまだ仕方ねえけど、よりにもよって先に親父かよ。
あ、顔は俺似。