不慮の事故、という言葉がある。
これは突然、かつ偶発的な事件に対して用いる用語らしい。要するに、晴れの予報に安心していたら予測不能なにわか雨に落ち合った、みたいなパターンだ。よほど用心して傘を持っていない限り、どこかで凌がねばならない。常に折り畳み傘を携帯する人間と、そうでない人間に分けた時、後者である俺はこの状況に戸惑っている。こんな雨宿りはあんまりだ。
茂みに身を潜めながら、こちらに気が付かない数メートル先の男女を恨めしく眺めた。
道に迷って数十分森を彷徨い、ようやく出会えた人影なのに。俺の歩みを躊躇させる理由はただ一つ。彼らが海外ドラマも白眼を向いて逃げ出すような、熱い口づけを交わしているからである。二人が人目を避けてここへやってきたのは明らかだった。
男の方は、まだ目覚めて数ヶ月の俺ですら知っている。石の世界で世界一周を成し遂げた凄腕船長で、猛スピードで復興を押し進める帝王学の申し子。ついでに顔も良ければ、ガタイもいい。同じ男として「こいつは何を持っていないのか」と神様に抗議したくなる。
対するもう一人は、額に特徴的なヒビがある科学者と、ロケットエンジンを持って先日帰還した女性だ。周囲との関係性から、かなりの古参であろうに、新参の俺にも優しく声をかけてくれた。その時見せた困り眉の微笑みは、心臓を跳ねさせるには十分な威力だった。
外見だけなら、リリアン・ワインバーグ似の美人姉妹など、目を引く者は多い。とはいえ、もしかしたら、と思わせるとっつきやすさには抗えない。これはもう男の性である。
俺は肩を落としつつ、改めて二人の姿を盗み見た。
そこそこ離れているとはいえ、風鳴りを除けば静かな空間。水音や声はよく響く。
時折相手の名前を呼び、満足そうに笑っては再度唇を合わせる。耳から特濃練乳を流し込まれたような甘ったるい声音に、なぜか俺まで背筋がぞわぞわする。
顔の角度が一秒ごとに移り変わり、慈しむというより貪るという表現の方が適正か。時折二人の顔が角度を持たずにぶつかると、鼻が邪魔をして唇間にスぺースができた。求め合う舌が行き交う様子が、その隙間からありありと見える。いけないと思いつつも目が離せず、ごくりと生唾を飲み込んでしまう。
彼女の舌が外に引っ張り出され、船長の口腔へ招かれる。かと思えば、逆に彼女が彼の舌を誘い出して、アレのようにバキュームする。青い化粧の入った右手が、相手の頭を支え、優しく撫でた。その動きに呼応して、彼女の腰がゆらゆらと揺れ、船長の太ももに擦り付けられる。
これはあれだ。キスとか接吻とかそういう類じゃなくて、もっとやらしい言い回しをした方がいい行為だ。でなければ、俺が石化前に恋人としていた口づけが、子どもの戯れになってしまう。
そんな愉快な思考を揺蕩わせていると、これまでよりも若干大きめの吐息とともに、彼女がバランスを崩してくたりと彼に寄りかかった。続く息が荒い。
橙の木漏れ日が照らす彼女の顔は、とろとろに蕩けていて、どことなく焦点の合わない潤んだ瞳や、濡れきった口元、蒸気した頬から鼻の頭が官能的だった。最近はもっぱら右手がお供の息子が疼いた。
部外者の俺でさえそうなのだから、その表情を真正面から見せつけられた彼はたまらないだろう。羨ましくは、ある。
「達したか?」
「……わかんない、そうかも」
恋人以外の女性がイく瞬間を見てしまった、という罪悪感に一瞬襲われるも、こんなところでおっ始めた方が悪いと思考を入れ替える。さらに言うと進められた地図を持たず山に入り、案の定迷った俺が悪いのだが、この際それは無視する。
「龍水君は……いいの?」
厚い胸板に添えられていた彼女の華奢な指が、彼の腰に移動し、躊躇いがちにさらにその下へ進みかけるも、筋肉質な腕がそれを静止させた。手首を掴み、彼女の体近くへと押し戻す。
「ダメだ」
「でも」
「いい。今晩は……いや、悪いがしばらく近づくな。夜に部屋へは来るな。……情けないが、保っていられる自信がない」
先ほどまであれだけ甘い時間を過ごしていたとは思えないほど、明確な否定の口調。
まだ頬が赤い彼女は、何か言いたげに船長を見上げ、口をつぐんだ。そうして、しばしの沈黙を挟み、いつもの困り眉で微笑んで見せた。
「わかった、ごめんね」
併せた言葉はそれだけだった。