じゃあ、うち来る?
一週間前のやりとり。きっかけは先輩からもらった大量のハーブを消費するのが大変だという話に、胃袋だけなら貸しますよと返答したこと。マジ? と顔文字もなく帰ってきたメールには、冒頭の一文が続いていた。
付き合って一年になるけれど、お互いの家には行ったことがない。プロ野球選手という肩書を持つ彼が暮らす場所は、どこか聖域のような気がしていたし、彼に私の生活空間を見せるのは恥ずかしかった。彼の当たり前が私にとっての普通とは違うと、改めて知ってしまいそうだったから。
なんとなく、どちらから切り出すこともなく、そもそも多忙の彼に会う機会は少なく。気がつけば月日だけがずるずると経過していて。
――美味しい御幸飯を期待しています。
あくまで簡潔にメッセージを返し、オフシーズンも伴って比較的合わせやすいスケジュールを調整。無事に数日後で日程が決まり、スマフォをローテーブルに置いた私はクッションを抱きしめながら足をばたつかせた。
何着ていこう。手土産は? 親に会いに行くんじゃないし、さすがに箱物は堅苦しすぎるかな。コンビニのジュースとかが丁度良いかも。軽すぎ? 気遣いのできない女とは思われたくない。
考えることがたくさん。これは幸せな悩みというやつだ。にやける口元を押さえてベッドに頭を預けると、糸が切れたように睡魔が襲ってくる。あ、エステと脱毛も行こう。まどろみながらそんなことを思った。
***
甘いものがあまり得意ではないという点から選択肢はかなり狭まる。スポーツ選手にお酒を送るのも違う気がして、いいところの煎餅を用意した。ちょっと古臭いかな、と躊躇うも、一口サイズだしパッケージも可愛いし、最低限の女らしさは発揮できているはずだと思い直す。
言い出せばきりがない。きっかけをたどれば、彼氏に手料理を振る舞ってもらうってこの状況がなんだ。
駅まで迎えに行くと言われたが、結局住所だけ教えてもらい直接訪ねることにした。わりと近いから待ち合わせの五分前くらいに最寄り駅着けばいいよ、と聞かされたものだから、どのくらい近いのか思案しながら改札口を出て驚く。エントランス直結のいかにも高級そうなマンションだ。落ち着いた雰囲気の佇まいが、逆に浮ついた気分を煽ってくる。
片手にぶら下げた紙袋がなんだか貧相に思えて、少しだけ猫背気味に進み、フロントで事前に教えられていた部屋番号を入力した。
数秒後、時間ピッタリじゃんという含み笑いとともにガラス戸が開いていく。待ち合わせの二十分前に、改札についていたのは秘密にしておこう。
私ばかりがドキドキして、緊張している。なんだか悔しい。でも、この悔しささえ嫌いになれない。顔を合わせたらなんて言おう。来たよ、って平静を装おうか。ちょっと照れつつお待たせ、なんて可愛い子ぶってみようかな。
その後、私の思考を無に返す一撃。インターホンを押して出てきた御幸がいかにもシャワーあがりと言った様相だったため、用意していた言葉を言う前に「バッカじゃない!」と飛び退いてしまったのだ。
初めて見たわけでもねえのに、と不満そうに口を尖らせながら適当なTシャツを羽織った御幸が「さあて」と微笑む。憎たらしいほどかっこいい。
「お待たせ。俺にする? ご飯にする? お風呂にする?」
本日二回目の「バッカじゃない!」が転がり出た。