1 to 2 浅倉南によろしく

「一也の奢り?」
自信しかないという面持ちで、ほら俺新婚だし、と宣言した元都のプリンス、現日本のプリンスはひらりと片手を上げて見せた。
よくもまあいけしゃあしゃあと。散々稼いでいるくせに、なんて思いつつ、それでいいよと頷く。言うて、鳴相手に奢り奢られが発生することへイチャモンをつけているだけで、出費の問題ではないのだ。
気に入りの個室居酒屋で席に着き、仲良くやってんの、と話題を出せばにんまり笑顔。鳴も話したかったんだろう。ある程度腹が膨れるまで、新婚トークをどっぷりと聞かされる羽目になった。羽目、は失礼か。とくと聞かせていただいた。
元来よく回る口ではあるが、今回の場合はまた特例。鳴の結婚相手は、青道で野球部のマネージャーを務めていた奴なのだ。鳴と同い年、要するに同学年、俺と倉持のクラスメイトでもあった。これまた数奇な縁だ。
先日の派手な披露宴には西東京の強豪二高が揃い踏みし、片岡監督、国友監督をはじめ、当然のように新婦の友人として招待されたあいつの姿もあった。
鳴の嫁とは同期のマネージャーという立場を抜きにしても、相当気の合う友人だったらしい。人当たりはいいくせに他人に対して結構ドライなあいつがベタ褒めの姿勢を崩さなかったし、定期的に会う約束を取り付けては嬉しそうにスケジュール帳を眺めていた。一応彼氏として、負けている気持ちになったことも一度や二度ではない。
根っからの投手気質を持つあいつや鳴からここまでアプローチを受けるとは。そういえば沢村とも懇意にしていた印象がある。天然の捕手気質なんだろう。もし性別が男で、野球センスや肩に恵まれていたら、プロで大成していたかもな。
とまあ、そんな話はともかく。昔から見知った二人が真っ白な正装で並び、愛を誓い合うというのはどこか気恥ずかしく、またどこか不思議なものだった。これからこいつらは夫婦として生きていくんだなと思ったらさ。なんていうか甘じょっぱい、複雑な気持ちになったわけ。
「一也は? 結婚。どう思ってんの」
「……どうだろ、わっかんね」
壁の木目をぼんやりと見ながら、ふと幼かった時のことを考える。
物心ついた時にはすでにうちは父子家庭だったし、母の記憶は曖昧で、鮮明な顔は写真の中でしか見たことがない。そのせいだろうか。結婚や夫婦のイメージがぼんやりとして、現実味を帯びようとしなかった。
「だってさ、これから一生、言っちゃえば他人と暮らすわけだろ? それって、なんか面倒じゃねえ?」
出会って十二年、付き合い出して九年。そろそろ、俺も二十七歳になろうとしている。
隣にいる鳴を筆頭に球団の先輩後輩、学生時代のチームメイトからおめでた報告を受ける機会も増えてきた。
意識していないといえば嘘になる。
ただ、教師の仕事を選んだあいつが充実した日々を過ごしているのも分かっていたし、俺もありがたいことに忙しい日々を過ごしている。同棲だってしていない。突然のプロポーズに踏み出す、その心構えができかねていた。成り行きで、というのはお互いに望まないだろう。あいつが俺にプレッシャーをかけないよう気を遣って、それらの話題を避けているのは薄々察している。
数年前の喧嘩というか、俺の大立ち回りというか。週刊誌の記事をめぐるやりとりで、改めて別れるなんて考えられないと思った。良い意味でも、悪い意味でも。
別れたくないから、ある一線を超えた途端に決裂しないか、不安になってしまうのだ。結婚しなくても一緒にいるのなら、そういう共通認識があるのなら、俺が引退して、あいつが落ち着いた頃にって。ずっとずっと後でもいいんじゃないか、と。
初めてのセックスを渋っていたあいつの気持ちが今ならなんとなく分かるような気がする。したくないわけじゃない。嫌いなんてとんでもない。それでも今は、整理する時間が欲しい。
俺がことんと飲み干したグラスを置くと、頬杖をつく鳴が「ま、一也の事情は知らないけど」なんて笑って「俺は良かったよ。俺はね。もう手放さなくて済むし」と眠そうにぼやく。相当恥ずかしいこと言ってるぞ、という言葉はアルコールで染まった頬に免じて飲み込んだ。
「一也も意地張ってないで、さっさと結城さんとかに相談すれば。んで、さっさと腹括れって」
「なんでいきなり哲さんなんだよ」
「結城と結婚って漢字が似てんじゃん」
「……似てねえし。つーかこの間飲んだばっかりだし」
豪速球ストレート、ど真ん中のコースで特定の名前を出されて肩を落とす。こいつ、無意識にやってるんだよな。
「へえ、なんか言われた?」
「お前はもう主将じゃないぞ、って」
「何? 暗号?」
高校二年の秋、校舎脇のベンチで交わした言葉。主将が揺らげばチームが揺らぐと諭されたこと。一言に哲さんの強い意志を感じたこと。そんな青かった春の話を、鳴は溶けた氷を突きながらぼんやり聞いていた。
「結城さんも案外いいこと言うね。雅さんほどじゃないけど」
「一言多いんだよ」
「……いいじゃん。揺らいでおけば?」
思わずどきりとした。
「今は主将じゃないんだからさ、揺らいでるところをそのまま見せてもいいって、そういう話じゃないの」
「どうだろ。哲さんがどこまで察してたのか分かんねえな」
「敵わないんだよ、一也は結城さんに。カズヤはタツヤに。あ、結城さんだとテツヤか」
そんなの俺が一番知ってるよ。
鳴がニヤニヤしながら「浅倉さんによろしく」と目を細めた。俺の名前が「カズヤ」だからと、たまに弄られる「タッチ」の話である。あいつの苗字は浅倉じゃないし、鳴だってそれを分かった上でわざと言っている。
「どーも、浅倉南に伝えとく」
読んだことねえけどな。

***

揺らいでいてもいい、という啓示は意外にもすんなり俺の中に入ってきた。
だから、これまでに思っていたこと、感じていたこと、全然上手く言えてねえと思うけど、何言ってるのか分からないと思うけど。ポロポロとビーズをこぼすように、なんとか言葉に、せめて単語にしようと試みた。
俺の要領を得ない話は二十分近く続き、あいつもなかなか根気強く聞いてくれたと思う。
ただ提起が長いからといって、答えも長いとは限らない。俺がずっと考えていた悩みも、あいつにとっては取るに足らない簡単なことらしかった。
一通り、黙り込んで聞いていたあいつは「そうだね」と顎に手をやり、

「御幸と結婚できたら嬉しいと思う」

一言。それだけ。
え、それだけ?

「まあ、正直手続とかはめんどくさそうだよね。初めてだからやり方わからないし。免許とか住民票とか戸籍とか。学校で使う名前もどうしようかな、悩みどころ」
「えーっと……それだけ?」
数度目の「それだけ?」に、あいつはおかしそうに笑って、少しはにかむ。
「結婚のメリットとデメリット考えたら、多分めんどくさいことの方が多いと思うんだよね。別に私お金で困ってないし、私達も仲悪くないと思うし、この部屋も愛着あるし、引っ越しは手間だし。でも、それでも嬉しいよね。私は嬉しいな、すっごく」
落ちてきた言葉に、これまでの自分が急にバカらしくなってくる。すげえ単純で、簡単な話じゃん。
「あー、うん……俺も嬉しいわ」
「じゃあ、する?」
あいつが聞いてくるものだから、真剣に悩んでいた全てに笑えてきて、
「するかあ」
と答えてしまった。

「そういや鳴が浅倉さんによろしくって」
ふと思い出し、伝言をつたえると、
「浅倉さんって私のこと?」
ややこしい言い方を、と額に手をやったあいつは「もしかして、私の下の名前が南だと思ってる?」なんて、呆れたように続けた。
「タッチだと、カズヤはミナミに片想いしてるんだけど」
「こっち見ながら言うのやめろ」
「御幸が私を見てるんでしょ」
ふてぶてしく言い放ったあいつは、うーん、と伸びをし「いつまで南でいられるかな」なんて続けて、ゆっくり目を瞑った。
多分、残りわずかだよ。

ここからは蛇足だが、話の直後に婚約指輪はお金がもったいないからいらないとあいつが切り捨て、プロポーズらしいプロポーズすらできていない俺が「おいおい」と食い下がる形となった。
その後「御幸がどうしても私につけて欲しいなら一緒に選びましょう」と宣言され、何くそと思いつつ「次会えんのいつだっけ?」って確認。
ジュエリーには明るくねえけど、どこで選ぶかは決めてある。あいつの好きな色。緑と青と白の間の、あの店でさ。