Triangler 別冊 ハマル

まぶた越しに感じる日の気配。
直感的に色でたとえれば青になる、朝の風がSAIの頬を撫でた。本来の起床時間まで、幾分か余裕のあることが理解される。
薄ぼんやりした頭は、以前龍水に「寝汚い」と数回指摘を受けたことを回想した。たまにはこんな日もあるものだ。
二度寝するもいい。余暇時間に使うもいい。いつもよりゆっくり朝食を取ってもいい。
いや、そもそも今日は休日だったじゃないか。
貴重な休みのたび、昼過ぎまで惰眠を貪っているSAIからして、このタイミングの起床は奇跡と言ってもいい。そうだ、せっかくだしコーヒーでも淹れてみようか。
わずかに生まれた期待へ、彼はゆっくりと目を開く。
そして。

まったく同じタイミングで意識を取り戻したなまえを、腕の中に見つけた。

昨日、はじめて夜を共にした。
想像よりも数サイズ大きかった胸をまじまじ見つめてしまい、彼女曰く七割の力で叩かれたことを覚えている。着痩せするタイプなのだという。
堪えるように漏らしていた声や、汗ばみ吸い付く柔肌。普段活発で意志の強い瞳が蕩けていたこと。終いには最奥で敏感な部分を締め付ける感覚まで蘇る。
「……おはよ」
「お、はよ。いいっ、朝、だね」
上がる体温を振り払うようにSAIが挨拶を返せば、「いつになったら緊張がとけるの?」なまえは眉尻を下げた。
「ええ……だって、みょうじさんは緊張しない?」
「そりゃしてるけど、幸せが勝っちゃってる」
彼女は、青年の首筋へもぞもぞ頭を埋めた。
「まだ眠い? 二度寝する?」
「……ううん、ちょっと名残惜しいだけ。目は覚めてるよ」
彼女の声は掠れて低い。耳元で囁かれ、心臓の鼓動が早まった。この距離だと取り繕う間もなくバレてしまう。
温い毛布の中、SAIはなまえの背中へ腕を回した。肩甲骨の華奢さに改めて驚き、壊さないよう抱き寄せる。嬉しそうな吐息。天然の癖毛が鼻先をくすぐる。
「七海君の匂いがする」
「みょうじさんの匂いがする」
同時に漏れ出た声は、内容までそっくりそのままだ。思わず二人して笑ってしまう。
無性に深い部分へ触れたくなり顎を掬うと、彼女はふるふると首を振った。
「朝、口、ねばつき、気になる」
「なんで『単語』なんだ……」
正直、そんな些細なこと以上に情けない部分をこれまで見せてきたし、同じくらい見せてもらったと思う。つい数時間前だってそうだ。
しかし、SAIからすれば今更なことも、なまえにとっては重要事項であるらしい。彼の数倍はズボラなくせに。
目覚めのキスを断念し、手持ち無沙汰な腕で彼女の髪を梳く。純日本人にしては色素が薄く、細い毛並み。光を受け、ヘーゼルブラウンに輝いている。
ふふ。胸の中から、くすぐったがるような笑みが響いた。
「七海君、コーヒー飲まない?」
「飲む」
ガサツな彼女のためだ。ドリップとは別に、手間のかからない水出しも常備している。コーヒーポットにパックを入れるたび、自分がいかに恋人に絆されているかを実感するため、悪い気持ちはしないのだが。
「二人分、了解」
片手で小さく敬礼し、なまえはむくり、体を起こした。上半身にかけられていた毛布が滑り落ちる。
「……それにしても、一箇所くらいキスマークつけてくれて良かったのに」
両腕で胸元を隠しつつも、露わになった白い体。形の良い唇が尖った。
押しつぶされる膨らみにドギマギしながら、SAIは「ああ」と昨晩を思い返す。彼女の台詞には語弊がある。つけたつもりが、上手くついていなかっただけだ。
「……なら、後で練習させてよ」
「リベンジ、了解」
再度の敬礼。
上機嫌に鼻を鳴らし、なまえはショーツだけの姿でベッドを降りた。ソファーに散らばる服を一枚拾い上げ、手を通す。
「えへ、七海君のでやってみたかったの」
SAIのシャツである。大学の講師時代から着慣れている、オーソドックスな白。通常清廉の代名詞とされる服装だからか、シチュエーションも相まってやたらといかがわしい。
女性として高身長の部類に入る彼女も、男物を羽織ると細さが際立つ。肩の縫い目が二の腕まで下がっている。一方で、丈はそこまでダボついておらず、身動きする度にチラチラと黒いレースが覗いた。
「どう? どうよ」
「……まあ、いいんじゃないかな」
「えー、可愛いとか、萌えるとか言って欲しいのに」
行為の中で、「可愛い」を重ねすぎたせいだ。自分に対しての照れが残っており、このタイミングで使いづらい。そんな言い訳をしたら、なまえは怒るだろうか。
彼の思いは露知らず、彼女は軽快な足取りでキッチンへ向かっていった。

ベッドへ腰掛けて、二人。空になったグラスをサイドテーブルに並べ、午後の予定を宣言し合う。
SAIは七海財閥のIT業務と別で進めている、ゲームのプログラミング。なまえは持ち帰った論文を読み進めるとのことだ。誰の? と興味本位で尋ねてみれば「アニク教授」と即答された。どこかで聞いた覚えがある。

時計の長針がてっぺんを超えるまで、まだ余裕があることを確認し、SAIはなまえとの距離を少しだけ詰めた。
「……さっきの、本当にやってもいい?」
「さっきの?」
「だから」
第二、第三ボタンだけが止められているシャツの隙間。そっと指を差し込むと、彼女がぴくり反応する。
「リベンジ、してもいいよって」
「……そ、そういうのいちいち聞く⁈」
なまえの顔がぼふんと音を立ててるかのように赤く染まった。
「だってっ、許可取らないと怒るだろっ」
「怒らないから! あ、いや、確かに、怒ることもあるかもしれないけど! もー!」
彼女が、一通りSAIの胸元を殴る。とはいえ、到底威力はささやか。これが恋人なりの照れ隠しだとわかったSAIは、されるがままに両手をあげた。
しばらくすると気が済んだらしいなまえが、飛び込みやすくなった彼の胸に頭を埋める。スキンシップジャブをいなし、ほぼSAIの勝利が確定した形である。が、この手の試合で、油断こそが最大の敵だと忘れてはならない。
「……好きにつけて」
直後、上目遣いと強請りを合わせた、なまえの右ストレートに、いたいけなプログラマーは一撃ノックアウトされた。

軽く、鳥が啄むようなキスをする。先ほどまで口にしていた苦みが広がり、互いにほうと息を吐いた。
ブラの締め付けが嫌いだと、普段からそこそこの頻度でぼやいている彼女は、いまだ彼のシャツを羽織っているのみである。シャツのボタンを外すと、隔てるものなく白い谷間が露わになった。
「ここ、とか?」
「うん。七海君にしか見せないとこだし」
本人は無意識だろうが、なんとも嬉しいことをさらりと言ってくれる。そういうところだぞ、と頭の中で指摘しながら、SAIは彼女の鎖骨下へ唇を寄せた。
彼女がコーヒーを準備している間、聞き齧った情報を改めて反芻したのだ。
舌で唇を濡らし、肌と隙間ができないように、ちゅう、吸い付く。
「ん」
SAIの首筋に手を回しながら、なまえは小さく息を漏らした。
「痛い?」
「痛くはないけど、くすぐったい」
もう一度同じ場所に、さっきよりも強く吸い付く。
「これは?」
「ちょっとだけ痛い」
若干赤くなった箇所をあやすように舐め、かぷかぷ甘噛みする。彼女が身じろぎし、ベッドから軋む音がした。
「……ついた?」
「うーん」
ほんのり鬱血痕を残せたように思うものの、薄いだろうか。どう? と逆に本人へ聞いてみる。自身の胸元を覗き込んだ彼女は、先ほどまでSAIが含んでいた場所を指先でなぞって、頰を緩ませた。
「六等星だね」
星の明るさと同じ指標で濃度を判定される。
「ごめんって」
「痛くないようにしてくれたんでしょ? そういう、気遣いって言うの? けっこう嬉しいけどな」
なまえは改めてSAIの首に手を回し、ちゅ、と音を立てて口づけた。そのまま頬を擦り付けられ、きめ細かい柔らかさが行ったり来たりを繰り返す。彼女への愛しさが止まるところを知らない。
「もうちょっと、練習しても……いい?」
抱きしめ返し、耳元で囁く。彼女は「あ、じゃあここに付けて欲しいかも」と、体を離し、SAIから見て右側、胸元の三箇所を指差した。
「いいけど、そこに何か意味が……?」
恐る恐る尋ねる。長年の付き合いで、なんとなくその意図を察してしまうのが悔しい。
「さっきのここと合わせて、おひつじ座になるから」
ハマルは二等星だから頑張って!
彼女のピースサインを受け取りながら、SAIはまず、その「ハマル」とやらがどこに位置するのかを確認しなければならなかった。