杠ちゃんと大樹君の披露宴は、当事者二人と同じくらい、彼らと日々を共にした全員が願っていた光景だった。人目を憚らず涙する仲間を見て、もらい泣きする者も少なくなく、あたりが笑いと感動に包まれる。
ところで、そのお祭りはなんと明日にもまたがるわけで。
「二日間開催って聞いた時はびっくりしたけど、参加してみると最高だね」
「それは、自分も欲しいという意図か?」
「いや……さすがにカレンダーができるくらいやったから」
自身の財閥を立ち上げた彼から、その足で改めてプロポーズを受け、五七五五年を迎えた時には、私も晴れて七海姓となった。
ただ、発足後の龍水の忙しさは目が回るなんてものじゃ足りないほど。娯楽施設の建設、航空網の整備、経済の安定化を図るための会議召集など、到底二〇代とは思えない活躍ぶりで、人類を復興させた立役者の千空、リリアンに劣らない美貌を持つ格闘チャンプコハクと並び、世界的な有名人だ。
その中で暴風雨のようなスケジュールを組み、世界十二ヶ所で披露宴を敢行した体力は、さすがの一言。全てを終えた後、かけがえのない思い出を得ながら、私は今ならアメーバーにも殺されるんじゃないかというレベルでヘロヘロになった。
また、彼らの活躍には及ばずではあるものの、実は私も小さな建設会社を設立した。それがなかなか忙しいのだ。
インフラ整備を中心に、直近は杠ブランドの店舗一号目のオープンに向け、打ち合わせを重ねている。
龍水からは七海財閥の傘下に入ってほしい、と打診を受けているものの、耳にする案件の規模が私の手には負えなさそうで、かなり悩ましい。いきなり本格的な露天掘りの指揮はとれそうにない。
やんわりと断りを入れた時は、いつかの採鉱、ダム建設を引き合いに出され渋られた。あの時は私が測量計画と地図作成まで。詳細な設計や荷重演算は千空君と、得意分野を住み分けたからなんとかなったのだ。
しかも、宝島から帰還してからは私の足がしばらく不自由だったため、測量関係の実務は戦闘チームの皆が交代で行ってくれた。彼らには未だに何度頭を下げても、の気持ちが強い。
そうだ、戦闘員といえば、
「モズが警察っていうのは、一番の驚きだったかも」
「あの戦闘力を生かすにうってつけの職ではあるからな」
「龍水が二日もスケジュールを空けられたのは、驚き的に次点かな」
「空けるだろう。俺だぜ?」
「そこに今更意外性はないけど……誇張なしに、龍水がいないと経済が止まるというか。周りが全力で止めにかかりそうだなって」
はっはー! と笑うな否や、いつも通り指を鳴らし、彼は「そうだな!」と告げた。
とはいえ、この人のことだから自分がいなくても回るシステム作りに尽力しているのだろうし、今だって本当に重要な部分は適宜対応している。
「ちょこちょこ電話対応してたけど、みんなと話せた?」
「無論だ。主役に恥をかかせるような真似はしない。貴様こそ、ちゃんと食事は取れたのか?」
「うん、もちろん」
「あまり進んでいないように見えたからな。なまえにしてはかなりめずらしいだろう」
「いつもそんなに食いしん坊かな……確かに今日は食欲少なめだけど。ちょっと胃がムカついちゃっただけで」
龍水の耳がピクンと反応する。
「今からでも詳細な検査を受けられるよう手配できるが」
言うが早いが内線を手に取る夫を慌てて止める。
「あー! そんなんじゃなくて、普通に寝不足だと思う! 今週立て込んじゃって。今日と明日の予定は大優先だったしね」
「フゥン……」
未だ訝しむ表情の龍水が、私の耳から首筋のラインに優しく触れた。
「ほぼ平熱か。急ぎでなさそうだが……明日の披露宴が終わったら、念のため診断を受けろ」
彼の両親の話はあまり聞いたことがないけれど、確か母親を早くに亡くしている。余計な心労をかけないようにしよう、と改めて心に決める。風邪くらいでいちいち報告してられない。一度遠征先で負った火傷を隠していてこっぴどく叱られたため限度こそあるものの、だ。
「……そうするね」
そっと彼の指を取る。
龍水の大きな手が好きだ。顔に触れられると、子どもっぽいと思いつつも、両手で捕まえて頬擦りしたくなってしまう。この歳になって普段人前ではしないけれど。二人きりならいいか、と擦り付ける。
溌剌と眩しい龍水の表情が、風のない日の海を思わせる穏やかさで緩む。ややかさついた親指が私の下唇を数回往復する。
会える時に会っておこうと言いつつ、彼の海外出張がここ最近グンと増え、こうしてゆっくり話せるのは一ヶ月ぶりだったりする。
その度に体を重ねてしまうのは、ストーンワールド時代にセーフティがなく、行為に進むのを何度も断念したから、というのが大きい。
「……とまあ、ことに及びたいのは山々だが、貴様寝不足じゃなかったか?」
噛み殺したあくびに気がついた龍水が、笑みを含んだ。
***
「なまえちゃん、おひさだねえ。元気してる? 龍水ちゃんと仲良く……は聞くまでもないか」
二日目から参加したゲン君が、ひらひらと手を振った。
「忙しいって聞いてたから心配だったけど、ゲン君も元気そうで何より。外交お疲れ様。私はご覧の通りで、すごく元気」
「そのわりには、せっかくの食事進んでないみたいだけど」
目を細めて、クリティカルな指摘。さすがに目敏い。
話に花が咲いて食べる暇がない、というのはあるけれど、それを差し引いても明らかに目の前の皿は手がついていなかった。
「うーん。実は胃の具合がちょっと」
「ジーマーで? なまえちゃんが食べられないって相当じゃない?」
昨晩の龍水とほぼ同じ文面で心配され、眉尻が自然と下がってしまう。
そういえば、消費期限の近い食糧類をなんとかせねばと、造船期間に大食い大会が行われたことがあった。千空君に背中を押される形で科学チームの代表として参加した私は、なんやかんやあり優勝のトロフィーを得たのだ。以来、食事量が足りているか、皆からやたら気にされるようになってしまった。
「周りにもっと忙しい人がたくさんいる中で言いづらいけど、キャパ的に疲労がね……それが胃に来てるんだと思う。自分の凡人さを痛感すると言うか。近いうちに休暇もらってしっかり休むよ」
「うんうん」
「足もむくむし、昨日は早く休んだのにまだ眠いし、一晩休んだくらいじゃなかなか回復しないのかなあ」
「……なまえちゃん」
ふと、ゲン君が囁いた。
「何?」
「ほんと、あのね、これ俺が聞いていいのかなーとも思うんだけど、セクハラ目的とかじゃないんだけど」
「はあ……」
メンタリストは一息ついて、それまでよりもさらに声を潜める。
「……ちゃんと生理来てる?」
「ん?」
「うん」
「え?」
「うん」
さーっと血の気が引き、続いて血が上り、自身の顔表皮が青くなったり赤くなったりしているのが分かる。
「あれ、手帳で管理してるんだけど、あれ? 先週か今週だったような……」
「一旦龍水ちゃんには黙ってるから、披露宴終わったらすぐに確認した方がいいって。フランソワちゃんには伝えとこ」
「そ、だね! そうだね! うん!」
ブンブン頭を振り、そっと周囲を確認。数メートル離れた場所で龍水が、何やら司君達と話し込んでいる。かなり盛り上がってる様子だ。
私はこっそり中腰になり、フランソワさんの姿を探した。
披露宴が終わり、夜は二次会。二日目を控えた昨晩は、中夜祭の雰囲気でワイワイしていたものの、さすがに最後ともなれば空気はしっとり穏やかだ。もうすぐこの宴が終わるのだという切なさと、残りの時間を精一杯燃やし尽くそうとする高揚感。
オレンジ色のライトに照らされる龍水の横顔は、女の私から見ても見惚れてしまうくらい綺麗だった。
先ほど、自家用ジェットで駆けつけた財閥お抱え医師、看護師、持ち込まれた設備により、地域の婦人科もびっくりのスピードで診断が進んだ。「せっかくのお時間を奪うわけにはいきませんので」と、必要項目を事前にフランソワさんがリストアップし、共有してくれたおかげだ。
優秀な執事の善意で、途中から後夜祭に間に合った私の胸には、とある結果が眠っている。
「ね、一ついい?」
「どうした?」
「私、しばらくご飯食べられないかも」
「……何かあったのか?」
昨晩のやりとりを思い出してか、彼が発する声のトーンが密やかになる。私も合わせて声を潜め、ふうっと息を吐く。
屈んでくれた龍水の耳に口を寄せ、囁いた。
「あのね、しんどくて……つわりが」
世界一周を成し遂げた船長が。咄嗟の判断力に誰よりも定評のある男が。数秒完全な無言になった。
使い込んだ舵を思わせる茶の瞳の中に、覗き込む私を見つける。と思った瞬間、龍水の首筋に頬がぶつかる。抱きしめられたのだと理解したのは、彼の頭が肩に埋まり、ずしりとした重みを残してからだった。
「欲しすぎるだろう……それは」
ようやく絞り出されたその声は、わずかに震えていた。
あなたが名前を知る後に
「名前に意味はなくていいよ」
ふと、なまえが微笑んだ。少し眉尻を下げた、困った様子にも見える優しい表情。この顔に何度絆されてきたか分からない。
「十二月生まれなら『冬』でいいし、波が穏やかな日なら『海』でもいいし」
「……あっさりしているな」
腹を痛めて、危険な思いをして子を産むのは母親なのだから、名付けにもその意思はより反映されるべきだと思う。そのため、彼女が望む言葉があるのなら、世界一の欲しがりとて折れる心づもりでいた。
「だって、こんなすごいお父さんがいて、名前まですごかったらきっと萎縮しちゃうよ」
柔らかく紡がれる言葉に、自身のルーツを思い起こす。
龍の水を得る如し。
水を浴びて空へ昇る龍のように、もともと強いものがより高みへ上がること。おそらく沙石集から来ているのだろう。
七海の元に生を受け、産声を上げた瞬間から相応しい道を示されていた。そのままレールに乗っていれば、名前によって人生を縛られていたことが想像に難くない。
だからこそ、石化後の世界で出会った彼女を愛している、そんな自分になれたことを一層誇りに思うのだ。
「……これから何になってもいいし、自由に生きていい。選択肢をたくさんあげたい」
「もうすっかり母だな」
俯き、美しいまつ毛を伏せる妻の腰を抱く。顔を寄せると、普段なら瞼を閉じるタイミングでも、なまえははしばみ色の瞳を輝せていた。
「ふつつかな母ですが」
「それを言うなら俺も未熟な父になるが」
額をつけ、笑い合う。特別でない今日に。まだ性別も知らない我が子が、名前の由来を知る前に。