*
──……まずったなあ。
寛政大学政治経済学部二年──玉川聡は盛大にため息をついた。
事の発端は、バイト先の友人である北沢すずとの約束にある。
そもそも彼女との出会いは、彼が一年の夏に始めたバイト、新宿駅東口の肉バルホール。皿単価がそこそこ高いことから歌舞伎町手前の立地にしては客層もよい。時給一三〇〇円、加えて賄い付きの条件は、上京したての彼にとってかなり魅力的だった。
職場には、おそらく玉川と同じ感覚でやってきた大学生スタッフが多く、期待に漏れず、すずもその口だという。近しい時期に入店し、よくシフトも被る彼女とは馬が合った。すずはフットワークが軽く、自覚ありの肉食系。玉川は出会った当初にして永遠の友達認定を食らっており、互いに恋愛対象でないことが明らかな分、正直かなり接しやすい。他数人の男女で小旅行に出かけるくらい懇意にしている。
そんな彼女は、絶賛彼氏探しに難航しており、先日玉川へ友人の紹介を頼んできた。すずは喜久井大学の理系学生であり、甘めの外見に呆けていると、地頭のよさを想起させるドライさに驚かされることがある。その察知力は特に第一印象からなる人柄診断へ存分に活かされ、あからさまに下心を向けてくる男は、会話の節々でわかるのだとか。いちいち線引きしていたら当てがなくなってきたとのたまう。
思わず「変なヤツ引っ掛けたくないならパンツが見えそうな丈をやめろよ」軽口を叩いた青年は、「常に女が異性のために服を選んでいるとでも思っているのか」とジェット噴射の勢いで袋叩きにあった。デリカシーがないから振られるんだ、との付け足しはさすがにカチンと来たが、事実二ヶ月前に別れた彼女から最後にぶつけられた理由と綺麗に同じだったことから、泣き寝入りするしかない。クリスマスまでに新たな相手が欲しい状況はこちらも同じである。
さて、ようやく本題に入る。
そんなこんなで玉川とすずは、恥を捨て共同戦線を張ることにした。足の引っ張りあい抜きで面子を集めると誓い、互いが何の条件を重視するかも腹を割って話し合う。
玉川の希望は、野球の話ができること、スタイルがよいこと。対するすずの希望は顔一択。なんとも現金だが、本心なのだから仕方ない。
一週間後、球場でビールの売り子をやっている友人を確保、とすずより報告を受けた玉川はガッツポーズをした。無理を言って先に写真も送ってもらったのだが、ナチュラルな化粧が可愛らしい。玉川には随分と辛口なすずだが、こういうところでしっかりツボをついてくる。
恩義に報いるべく、彼も所属するイベントサークルを中心に声をかけ、見事四人の枠を埋めることに成功した──したのだが。
「まずったなあ……」
先刻心の中だけで呻いた言葉。二回目は音になり、唇からこぼれ出ていく。
本日の合コン参加メンバーその三。顔はよいがアホで有名な柿生が、あろうことかダブルブッキングをかましたのだ。
せめて前日にわかっていれば対処できたものの、知らされたのが待ち合わせ二時間前。ギリギリまで代替を探すにして、一時間後にはキャンパスを出ないと間に合わない。このタイミングで欠員を申し出ようものなら、すずにどんな目を向けられるかわかったものではなかった。当然延期も同罪である。
キャンパス内大通りのベンチに腰掛け、柿生から送られてきた「ごめん」のスタンプを未読無視し、玉川は頭を抱える。
──と。
「めずらしいなあ、こんな時間に。今日はバイトじゃないのか?」
俯く頭に影が落ちた。
*
「頼む! この通り!」
全身全霊で手を合わせる玉川に、現れた救世主は困った笑みを浮かべている。かなり端折った説明でどこまでこの状況が伝わっているかは怪しいが、今は人手が足りないことさえ察してもらえれば十分だ。
玉川はうってつけの人材を逃すまいと必死に語りかける。なにせこの男、素材がいい。普段から飾り気のない出立ちだが、その分スタイルのよさが目立つ。さっぱりとした顔立ちには清潔感があり、同じ男ながら背筋の伸びた佇まいにはふと視線を持っていかれることがあるのだ。こいつがいい。今出せる最適解に違いない。
「確か、バイトもサークルもやってなかったよな」
「ああ。一応、部活には入っているんだが……」
「……マジ? やべ、もしかして今から練習?」
やたらと胴に入ったジャージ姿で気がつくべきだった。玉川が血の気を引かせると「これは普段着だ」目の前の青年がなんてことはなさそうに頷く。
「おいおい、トラップかけんなって……じゃなくて。なら今日の夜いけるだろ⁈ 頼むよ」
両肩を掴み、ぐいぐい揺さぶる。体幹のよい同輩は、器用にバランスをとりながら顎に手をやった。
「……とは言ってもなあ、夕飯の仕込みが終わっていないんだ。俺がまかないを担当してることは前に話しただろう? 腹を空かせた先輩たちを食いっぱぐらせるわけにも」
この男が、下宿先のアパートで朝晩の献立を一手に引き受けていることは確かに知っている。そうしなくてはならない事情もきっとあるのだろう。だが、玉川にも引くわけにいかない理由がある。
「主婦みたいなこと言うなって。いいだろ一日くらい。なあ、その仕込み? はどのくらい時間がかかる? 終わり次第の合流でいいから」
「そうだな……一時間もあれば。いや、買い出し込みで一時間半」
だとすればおおよそ三〇分弱の遅刻ということになる。遅れるのがこの男のみなら、言い訳の目処も無理やり立てられそうだ。
「なんでもいい! お前は顔を出してくれるだけで十分だから。金は俺が出す。全額出す。とにかく来てくれ。なんなら一次会だけでもいい。気楽にしてていい。いいか? 待ってるのは据え膳なんだよ。お前には今、箸を持つ権利が与えられている!」
さすがに台詞が芝居じみすぎただろうか。「そういうところがウザいわけ」と、心の中で小言を言い始めたイマジナリーすずを追っ払う玉川をよそに、
「なるほど。……せっかくなら、その膳に蕎麦があるといいんだが──地元の」
友人──清瀬灰二は、なぜか懐かしそうに笑った。
彼が見せた表情の意図に気がつくのは、それからおよそ数時間後の出来事である。