世はまさに大恋愛時代!
今や遠い過去となった『現代』で、耳に馴染んだフレーズが脳裏にもじられる。私は、そっと茂みに身を潜めた。
夕方とはいえ、葉が重なる森の中は薄暗い。とはいえ、僅かに差し込むオレンジが、間接照明のような役割を果たし、不気味というより幻想的だ。
造船作業も佳境に入った今日この頃。
村と帝国が合流し、やるべきことが統一された結果、各自の役割も明確になった。学生の時間割がごとく、各々のルーティンができつつある。不便ばかりだった生活にも慣れてきて、余裕が出てきた。
となれば、時間を持て余した人類が、たどり着く娯楽は一つ。
そう、恋愛だ。
あからさまにベタベタする、というようなカップルこそいないものの、水面下での駆け引きは複数進行中だと聞く。
誰から? 当然メンタリストの彼だ。相談が増えてわりと大変なのよ、なんて言葉とは裏腹に楽しそうな素振りで。
つまり、間が悪く、男女の密会に遭遇する、なんてこともなくはないわけで。
それがまさに今だったりするわけで。
プライバシーが薄くなりがちなこの世界、特定の相手とだけ共有する時間は、なかなか取れない。甘い声と、粘膜を擦り合わせる水音を聞きながら、私は息を殺した。
ーーと。
「……先客か?」
背後から突然声をかけられ、思わず叫び出しそうになる。口元を両手で塞ぎ、ことなきを得たものの、一体何事だろうか。
「すまないな、わざと驚かそうとしたわけじゃないぞ」
普段ハリのある声ばかり聞いているから一瞬分からなかった。ひそひそと中腰で囁く彼は、我らが船長だ。
「せっかくの機会を邪魔するのも気が引けてな」
バツの悪そうな表情。どうやら私と同じく、彼らがひと段落するまで腰を落ち着けるつもりらしい。確かに、視界に入らず、身を潜めていられるのはこの茂みくらいしかない。
ただ、それはあくまで一人で隠れた時の話で、二人となると状況が変わってくる。
狭いのだ。
特に、龍水君の服装は目を引く。深緑の中で鮮やかな朱は、早く見つけてくれと無言の圧をかけているようなものだ。密着してスペースを有効に使わないと、きっとすぐバレてしまう。
「昼間、子どもたちがかくれんぼをしていたが、その気持ちが少しわかるぞ!」
「こらこら! もう少しボリューム下げて」
小声でやりとりしつつ、盛り上がるカップルに気付かれていないことを確認する。そうっと茂みの隙間から覗くと、絶賛甘いひとときを堪能中だ。
ホッと一息つき、そこで改めて現状を把握。頭が痛いにも程がある。
先ほど、体の大きい龍水君を隠すため、数回腕を引いた。そのため、彼の上半身が前のめりになり、側から見れば私を押し倒しかけている格好だ。
この瞬間を誰かに見られたらまずい。余計な勘違いと邪推が生まれる。かといって、体勢を変えれば、物音を立ててしまう。困った。
「……貴様、緊張しているのか?」
至近距離でふっと龍水君が笑みを浮かべた。先日あった洞窟での一件も頭を掠め、やけに気恥ずかしい。
「そりゃあ、とても。すっごく」
素直に答えると、彼は形の良い唇を引き結び、改めて声を出さずに笑った。一つ一つの挙動が絵になる。
「……なんというか、前から思ってたけど龍水君ってこういうの平気なタイプだよね。慣れてるって言うのも変だけど、姉妹が多いとか?」
この体勢で、言葉を交わさず見つめ合い続けるのも心臓に悪く、ひそひそと声をかける。私の質問に「嗚呼」と、普段に比べてややぎこちない相槌。
「……姉はいる。そういう貴様はどうだ?」
「私は弟が一人いるけど……五つ下の」
「貴様と同じく測量に知見が深いのか? もしそうであれば早急に欲しいが」
直感的に、彼が意図して家族の話を避けた気がして、踏み込みすぎてしまったかもしれないと憂慮する。センシティブな問題なのであれば彼の機微にも気がつかないふりをしておいた方が良いだろう。
七海家の家族問題へ触れないようにしつつ、自身の兄弟に話題を移す。
「残念ながら、そのあたりは詳しくないんだ。でも、海が好きなの。船造りには参加したがったかも」
「フゥン、いつでも歓迎するぜ」
咄嗟に出た彼の右手をやんわり抑え、フィンガースナップを阻止する。
「……すまない」と、申し訳なさ半分、照れ隠し半分の響きに、私は肩を落とした。
遠くで子どもたちの声がする。
名残惜しそうに体を離したカップルが、帰路をわかつのが見えた。あえて別々に帰るのだろう。特別な関係を秘密にしておくために。
彼らの邪魔をしなくてよかった、と改めて安堵した。二人の世界に部外者はいらない。
「立てるか?」
エスコートされるがままに体を起こし、お礼を告げてお尻の土をはらう。
当の龍水君は、着崩れをさっと直すと、葉の隙間から滲むオレンジをじいっと見つめていた。沈み切った太陽が最後に残した灯火だ。あと十数分もすれば、真っ暗になるだろう。
「……ガイコツみたいだね」
「ガイコツ?」
「ほら、葉っぱが光を遮って、切り絵みたいでしょ。あそこが目、あそこが鼻」
「フゥン、なるほどな。興味深い」
龍水君は腕を組み、軽快に告げた。
「世はまさに大航海時代ってわけだね」
「懐かしいな、その言葉」
「七海財閥の御曹司も漫画とか読むの?」
「読むだろう。俺だぜ?」
自信満々な返しに、思わず声を出して笑ってしまう。
「いろんな経験豊富だね、龍水君は」
「貴様と茂みに小一時間隠れたりな」
「それは経験というよりも事件だね……」
凄腕船長が時折見せる無邪気な子どもらしさに胸を揺さぶられたことは内緒にしておこう。西日が差し込む中、背後に忍び寄る夜の気配を振り切るよう、私達は帰路を急いだ。