「たとえば、貴様に想い人がいるとしよう」
北米へ向かう船の中、突然の龍水ちゃんの言葉。聞き耳を立てていた俺、ニッキーちゃん、羽京ちゃんは揃って顔を見合わせた。
きっかけは至って単純だ。星を見にきたニッキーちゃんとなまえちゃんが、北極星の位置を確認しにきた龍水ちゃんと遭遇した。
なんとなく面白くなりそうな気配を察し、それとない理由でニッキーちゃんを連れ出した俺は、通りすがりの羽京ちゃんに手招き。資材置き場の裏に腰を落ち着かせたわけだ。
普段は賑わう甲板も、今日はバー・フランソワがお休みということもあり人気がない。かつ、月明かりが木目を照らして、いい雰囲気に拍車をかけている。
本来ならば放っておくべきだろうけど、龍水ちゃんの無自覚ムーブと、自覚があるなまえちゃんが自身に課している距離感の線引きが絶妙に噛み合わない。
ニッキーちゃんは、なまえちゃんと友人としての付き合いが長い分、もどかしい関係に常日頃からヤキモキしているらしく、彼女が幸せになるのならという条件付きで進展を見守っている。最初は咎めていた羽京ちゃんも、今やすっかり観察仲間だ。もちろん、メンタリストとしてこんな愉快な展開見逃せない。
さて、今日こそ何か起きるのでは。そんな期待と共に見つめた矢先、いきなり破壊力抜群の前段条件が飛び出してきた。
「その想い人が病に伏せた。同時に、貴様の友人五人が同じ病かかった。想い人は症状が重く、五人分の薬がないと死に至る。逆に、その一人を見捨てれば友人五人の命は助かる。一種の思考クイズだな」
「聞いたことある、トロッコ問題だよね」
唸るなまえちゃん。
「たとえば、私の好きな人が千空君だとしたら、千空君を助けると思うな。回復した千空君なら、私の友達を全員助けてくれる気がするから」
「成程。ただその回答はフェアではないな」
「そうかも。千空君使うのはズルだったね」
なぜかほがらかに笑い合う二人。その裏、野次馬側としては気が気でない。
「……でもね、もし今龍水君が重症の一人になったとしても、きっと龍水君を助けると思う。船長がいない船はいずれ沈むでしょ。龍水君を助けることは、軽症の五人以外全員を助けることにつながるから」
「海の上では命に優先順位がある、ということか」
「海もそうだけど、この世界全般で今はきっとそうなんだよ。科学を取り戻すって、その優先順位をなくすこと。早く、全員の薬をつくれる世界になればいいね」
なまえちゃんの言葉に、龍水ちゃんが微笑んだのが分かった。その表情から、龍水ちゃんの想いの天秤が、また彼女に傾いたことが察される。
「それで龍水君ならどっちを選ぶの?」
「俺か?」
「私にだけ答えさせるのはずるくない?」
「フゥン、功利主義か義務主義か、その場の状況にもよる分悩ましいところだが……ただ、重症なのがもし貴様だとしたら、五人を助けるよう説得されるだろうな」
「ええ……龍水君の想像の中の私、さすがにいい人すぎるでしょ」
「詭弁だな。自分の行動を振り返ってみるといい。貴様はそういう女だ」
なまえちゃんは眉尻を下げて「プレッシャーかかるなあ」と呟いた。あの言い方はおそらく本当に困っている。
「船長のご期待に添えるよう、これからも頑張らないと」
「いや、その点に限って言えば、もう貴様は頑張らなくていい」
いつになく真剣な龍水ちゃんの声色。やや引いて会話を伺っている俺たちにも伝わる躊躇いの含まれた響き。
「これは……船長ではなく、俺個人の感想になる。もちろん、なまえの献身がなければならなかった場面はこれまでもあった、が。俺は貴様の身を案じる時間が苦しい」
ニッキーちゃんが物音を立てないようそっと自身の頬に手をやった。彼女の耳まで、真っ赤に染まっている。同時に「あれを素でやるんだからすごいよ」と、感動しているのか引いているのか分からない台詞を羽京ちゃんが吐いた。
これにはさすがのなまえちゃんもタジタジだったようだ。数秒の沈黙後に「……善処します」と蚊の鳴くような声が聞こえた。