unmeasured It’s always you

空の色を写す、青いビー玉のように輝く海に、装い新たなペルセウス号が揺蕩う。
旅立ちの日だ。世界一周組、北米組、見送り組と先日三つに分けたグループが入り混じり、しばしの別れを惜しむ。堪えきれず、涙を流す者もいる。次にいつ会えるのか、明確な答えがないからだ。
その中、朝の光へ背中を向け、颯爽と歩みを進めた我らが船のリーダーはハリのある声で告げた。
「よし! なまえ、結婚するぞ!」
沈黙。
その場にいた数十人の視線が、一斉にただ一人へと降り注ぐ。
「……あ、え?」
突然注目の的となった彼女--もといなまえちゃんは、人間本当に驚くとこんな反応になるのだという決定的なサンプルだった。瞬きを忘れ、口は半開き。中途半端な位置で止まった腕が、脳のリソースに余裕がないことを教えてくれる。
「今決めれば婚約になるだろう!」
違うか?
おかまいなしに畳み掛ける龍水ちゃんへ、彼女は一貫してフリーズ状態だ。
とはいえ、当の本人でさえ理解しきれてない状況が、第三者にわかるはずもない。
「ん⁉︎ え⁉︎ いつの間に⁉︎」
察しの良い一部は、あの全人類博愛主義の龍水ちゃんが、ようやく自覚に至ったのか、という衝撃に。
「……龍水は、なまえのことが好きだったのか?」
コハクちゃんをはじめとする大半はそもそもの前提に。
「まさかの公開プロポーズってやつ?」
まだ二人との関係が浅い軍人組は、このシチュエーションに。
各々が落雷を受ける中、龍水ちゃんの言葉は続く。
「なまえ、貴様の意思を尊重する、俺の希望はもう分かるな?」
「…………君はいつも急だね」
なまえちゃんがこめかみに手をやり呻いた。
当時者外で唯一、昨日の会話を察している俺は、彼女の憂いを想像する。伊達にメンタリストを名乗っていない。
この半年、龍水ちゃんがふとした瞬間にそわそわと落ち着きをなくすことがあった。食事や休憩中。船長としてではなく、一人の人間として素に戻る時間。考え込むような視線の先にはいつも彼女がいたものだ。
とはいえ、誰かに指摘されるほどあからさまでもなく、気がついているのは元から二人の関係にヤキモキしている俺と羽京ちゃんくらい。
十中八九、何かがあった。けれど、なまえちゃんが行動に出ない。おそらくは彼の存在が自分にとってあまりにももったいないのだ。龍水ちゃんに選ばれる理由を言語化できない。それは、説明しきれない機微を「欲しい」の一言で解決する龍水ちゃんの行動の、わずかな綻びかもしれなかった。
ただ、今この様子を見るに、昨日のやりとりは収まるところに収まったようだ。
ちなみに、ちらりと見やった千空ちゃんは、鼻でもほじり出しそうなほど薄ぼんやりしたお顔。乳繰り合いははよ済ませろ、と眉間に書いてある。もー、やめなさいよ。いいところなんだから。
一呼吸おいて、俯いていたなまえちゃんが前髪の隙間から曇りの大海原を思わせる瞳を覗かせた。そのまま、小さな声で告げる。
「条件……は違うな。一つ約束してほしいことがあるんだけど、いい?」
「勿論だ」
「……離れている間に素敵な人と出会って、その人を好きになったら。はぐらかさないでちゃんと教えて」
静まり返った空間で、その声量は十分なものだった。
「……身を引くとでも?」
龍水ちゃんの声がわずかに尖った。つかつかと距離を詰め、頭ひとつ分高い位置から彼女と視線を合わせる。
「ううん、逆」
なまえちゃんは眉尻を下げたいつもの表情で、ふんわりと微笑んでみせた。桜色の形のいい唇に、性別関係なく目を惹かれる。恋をすれば女は綺麗になるなんて俗的な定説を証明するかのような、そんな表情。
「絶対に手放してやらないから! その素敵な人に私が何一つ勝てなくても、私を欲しがって。これが約束」
予想外の答えに面食らったらしい船長は、一時答えに詰まり、そして豪快に笑った。
「いいだろう、今日この日にに誓う」
彼の答えに、なまえちゃんの強張っていた肩がゆるりと下がる。
「証人はここにいる全員だ。まだ法制度がないからな。貴様を繋ぎ止めておくには衆人の元、既成事実をつくるしかなかった。許せ」
龍水ちゃんはうやうやしく帽子を取り、彼女の足元にひざまづく。華奢な左腕をとると、自身の手のひらに重ね薬指に口づけた。
「病める時も、海の中でも、空の上でも、科学があってもなくても、貴様を愛している」
「……できるだけたくさん証人が必要なら、私は英語で答えた方がいいのかな」
凪にたとえた瞳が震える。しばしの逡巡、導き出される回答。
「それじゃあ、敬愛するリリアン・ワインバーグの歌詞をお借りして」
I’ll be thinking of the same thing I always do. It’s always you.
若干たどたどしい発音で、彼女は祈るように誓いの言葉を告げた。

「……え、何? 千空ちゃん気が付いてたの?」
船の上、遠ざかる緑を見送りながら隣の科学者に声をかける。ガシガシと左手で頭をかきながら、水平線を眺める青年の調子はいつもと変わらない。
「ちっと前からな」
先ほどの顔つきから意図を理解。なるほどね、と独りごちる。事前に二人のすれ違いを知っていたのであれば、今更のやりとりに思えても無理はない。
「ちなみに何で? なまえちゃんから相談されたとか?」
「アンドロメダ座」
「は?」
取り繕う余裕もなく、怪訝な顔を浮かべてしまう。
「あの龍水先生が、星座眺めて特定の名前呼んだらそういうことだろ。アンドロメダ座とくれば尚更な」
「え、何々? どういうこと?」
ひらりと甲板から立ち去る千空ちゃんを追いかけながら、俺は透き通る青の上、宇宙に散らばる星へ思いを馳せてみるなどした。