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四月に入ったとはいえ早朝の川沿いは冷え込む。河川敷に自転車で乗りつけた少女──勝田葉菜子は、セーラー服越しに腕をさすりながら上流方向へと目をやった。
視線の届く範囲にジャージの集団は見当たらない。事前に聞かされていた陸上部員たちは未着のようだ。
自転車のスタンドを下ろし、通行の邪魔にならないよう土手脇へ駐車させる。
うーん、と大きく伸びをした少女は、雲が多いためやや湿っぽい自然の空気を胸いっぱいに取り込んだ。
小学生の時以来、久方ぶりの多摩川土手である。当時の記憶はほとんどないのに、童心にかえった気持ちになることが不思議だった。鼻腔をくすぐる香りや、肌にぶつかる風。それらが過去と同じであるためだろうか。世界的に有名なアニメ映画の中で「一度あったことは忘れないものさ。思い出せないだけで」という台詞があったはずだか、きっとこういう状況を指すに違いない。
そんな懐かしさの理由に当たりをつけながら、改めてきょろきょろと周囲を見渡す。あらかじめ伝えられていた陸上部員以外の「もう一人」を探すためだ。
大型犬を連れた熟年夫婦、新入社員と思わしきパリッとしたスーツのOL、ゆったりとストレッチをする中年。あれも違う、これも違う、と端から河原をなぞった少女は、数人目にようやくそれらしい人物を発見した。
空からピアノ線で吊り上げられているのではと思うほどまっすぐ伸びた背筋。姿勢がいい。スキニージーンズに包まれた脚のラインが綺麗だ。広い額を出し、ゆるくウェーブのかかった髪を高い位置でまとめている。装飾品といえばポニーテールの結び目に巻かれたスカーフと黒縁眼鏡くらいのものだが、無駄に飾り気のないその姿は一学生の葉菜子から見て「お姉さん」然としていた。
加えて、この景色と同じくどこか見覚えのある外見。葉菜子の実家付近で、何度かすれ違ったような気もする。近隣に住んでいるのかもしれない。
「あのー! 陸上部の手伝いに来た方ですかー?」
葉菜子が土手上から手を振る。驚いた様子の彼女が、こちらへ視線を向ける。
「怪しい者じゃ! ハイジさんの知りあわっ、わわっ!」
説明を付け足しながら、少女は芝生へ足を踏み出す。が、ローファーでこの斜面を降りるのはいささか難しいチャレンジであったようだ。長い草で地面が見えず、下ろした足に体重をかけるタイミングを見失って、想像以上に勢いがついてしまう。
スカートの端を片手で押さえながら、悲鳴とともに坂を駆け下った葉菜子は、地面と重力が垂直になったあたりでなんとかブレーキをかけることに成功した。前に転ぶことも、尻餅をつくこともなく。どくどくと速る心臓を感じながら、緑の繊維がついた制服を払う。
「ちょちょちょ! ええ⁈ 大丈夫⁈ 怪我してない⁈」
声を焦り一色に染め、先ほどの女性が飛び込んで来た。
「はい! 大丈夫です」
「よかった……。実はわたしも下りる時にずっこけて。先に注意できなくてごめんね。すごい勢いで落ちていくから、めちゃくちゃびっくりしたよ」
浮かぶ表情は葉菜子を案じる一心に満ちている。
「とりあえず怪我がないなら何より。えーっと──清瀬君の知り合い、でいいのかな?」
「あ、はい! わたし勝田葉菜子って言います。祖師ヶ谷の商店街で『八百勝』って八百屋をやっていて。ハイジさんはお得意さん」
「あ! あそこの⁈ 通りで見覚えのあるお顔だと思った!」
続けたやりとりによると、葉菜子の予想通り、清瀬から聞かされていた陸上部以外の「もう一人」とは彼女のことらしい。
互いに簡単な自己紹介を済ませ、「はなこ」にその漢字を当てはめてるんだね、と名前の由来にその人が興味を示したあたりで、一人の青年が芝生を駆け下りてきた。
身体の軸がブレず、多少の足場の悪さを物ともしない。大きなストライドと、軽いピッチ。陸上経験のない葉菜子にもわかる、うつくしいフォーム。彼は徐々に速度を落として立ち止まる。
葉菜子たちから十数メートル離れた場所で、体を折り、アキレス腱を伸ばしはじめた。どうやらここでしばらく休息を取るようだ。
花に惹かれるミツバチのように、少女は黙々とストレッチを始めた青年に近づく。
「あの、もしかして寛政大の人ですか」
「……は?」
「寛政大陸上部」
「ええっと……」
あれだけのスピードで軽快に走ってきたにも関わらず、会話のテンポは随分ゆったりとしている。向こうからすれば、女子高生が早朝の河川敷にいることも違和感だろう。突然話しかけてしまったため、困っているのかもしれない。
じいっと目の前の青年を見つめる葉菜子の横で、二人の様子を窺っていた「もう一人」──有村なまえは、
「清瀬君──清瀬灰二って知ってます?」
と、少女の言葉を引き取った。
なぜその名前が出てくるんだ、と言わんばかりの彼に、なまえは穏やかに微笑みかけ、「ね。きみが蔵原君?」首を傾げた。
「あ、おーい!」
葉菜子が手をあげた先、土手の上。少女漫画の登場人物のように華やかな顔立ちの青年と一緒に清瀬の姿があった。よろめくヒーローは到着と同時に芝生へ倒れ込み、それを気にする素振りなく「おお!」と、表情を綻ばせた清瀬が傾斜を下ってくる。
「いいの? 学校は」
「今から。さっそく来てみたんだけど誰もいなくて」
「ああ、まだゆっくりなんだ、ペースが」
一切呼吸が乱れていない清瀬に余裕を感じながら、葉菜子は自身の斜め後ろを示す。
「あの人に陸上部ですかって聞いて。他にそれっぽい人もいなかったし、大正解!」
「……放っておくわけにも」
肩のストレッチをしながら、ポツリと走が呟く。「へえ」と漏らした清瀬がなぜか嬉しそうに微笑んだ。
「そうだ。なまえ先輩とは会えた?」
「会えました! 今日は朝から研究室の面談があるんだって。ちょうどさっき帰っちゃったけど。他の皆さんには挨拶してましたよ」
「そうか」
清瀬は駅の方角を見つめながら「王子も紹介したかったのに、残念だ」とこぼした。
「明日もまた来るって言ってたので。あ、そう、これ! まだ朝は寒いよねって、なまえさんが買ってきてくれて!」
葉菜子は、両手で包んでいた温かいココアのペットボトルを掲げてみせる。ホッカイロ代わりにと、先ほど彼女から受け取ったのだ。
最も近い自動販売機まで四〇〇メートル近くあるのに、わざわざその距離を往復したということになる。加えて、走と葉菜子が会話をしている隙にさらりと抜け出したため、少女の体感としてはいつの間にか。まるで魔法のような出来事だった。
「なんかドラマのワンシーンみたいで! すっごく素敵なお姉さんでした!」
「ほう。それは勉強になるな、走」
「なんで俺に言うんですか……」
仏頂面の後輩を他所に、清瀬は至極楽しそうな様子で目を細めた。
翌日。ジャージに身を包み、自転車で竹青荘へ乗りつけた葉菜子は、ちょうど玄関を抜けてきた男性と目が合った。昨日のランニングには参加していない、真面目そうな風貌の男性である。
「おはようございます!」
挨拶をすれば、入り口脇に陣取っていた清瀬が「八百勝のところの勝田葉菜子さんだ。たまに手伝ってもらうことになった」と補足をする。
「学校があるので、朝と夜遅い時間しか手伝えないんですけど。よろしくお願いします!」
すでに自己紹介を済ませているメンバーが、やる気十分にストレッチをしながら「しゃーす!」と返事をくれた。朝の陽気に相応しい爽快さだ。
「ちなみにゴールには別の助っ人を呼んである」
「……それって、昨日いたもう一人の?」
清瀬の呼びかけに、端の方で太もも裏を伸ばしていた走が反応する。清瀬は手持ちのバインダーに用紙を挟みながら「ああ」と返事をした。
「あの人はなんですか」
「何って、ハナちゃんと同じく手伝いを頼んでいる」
「そうじゃなくて、どこまで知っているんですか」
「だから何を」
「それは、俺の……──」
走が口ごもった瞬間、神童が転がるようにして「すみません! 遅くなりました!」と飛び出してきた。会話が途切れ、走はそのまま押し黙る。
対する清瀬も深追いするつもりはないようだ。こほんと咳払いをしてから改めて皆を見回し、
「やはり全員揃うと壮観だな」
と、満足げに告げた。
中途半端にやりとりを収束させた走が、ランニングウォッチに手を添えながら駆け出そうとしたところを即座に清瀬が静止させる。
「待て、蔵原。皆の到着タイムを取りたい。手伝ってくれ」
「なんで俺が……」
葉菜子が自転車にまたがりながら走を見やると、彼は視線を逸らしてため息をついた。少女の存在および部活の上下関係には弱いらしい。
走がその場で一旦待機する姿勢を見せたため、清瀬は他メンバーに向かって、今朝の趣旨を説明し始めた。
「タイムを取るからと言って無茶する必要はないぞ。ただ、練習計画をつくるための資料が欲しい。そのための今日のタイムだ。手を抜かないように、ハナちゃんにもそのつもりで皆のことを見てもらうからな」
「皆さん、頑張ってくださいね!」
葉菜子が務めて明るいエールを送る。
その後、清瀬の号令を合図にして。一部は渋々、一部は張り切って、一部は通常運転のまま、それぞれが多摩川土手へと駆け出していった。
*
学校から戻った葉菜子は、自室へ鞄を置くとすぐに表へ出た。夕方、特に両親の忙しい時間帯に店番として立つことが多いためだ。夕飯の買い出しで賑わう時間帯でもあり、八百勝を贔屓にしてくれるお客さんとの交流は楽しく、葉菜子がこれら家業の手伝いを苦に思うことは滅多にない。テスト期間だけは時間のやりくりに苦労するが。
例に漏れず、レジ周辺に立ってしばらくすると、お得意である清瀬が店内を覗いた。アオタケの食事を一手に担う彼はほぼ毎日店を訪れる。また、続く形でなまえも姿を現す。
「こんにちは! 朝ぶりですね!」
少女の飛び抜けて明るい挨拶に、二人は顔を綻ばせて「こんにちは」と戻した。
「どうしたの? 今日はなまえさんも一緒にご飯を食べるの?」
「さっきまで色々相談をしていたんだ。駅まで送りがてら、ハナちゃんにも挨拶しようと思って。なまえ先輩、どうします?」
店外に、お行儀よく待機している雑種犬の姿が見える。ニラの散歩も兼ねているらしい。
「うーん……、今から研究室に戻ろうと思っていたんだけど」
「今日も夜まで? あ、もしかしてまたファーストフードですか」
「……ファーストフードじゃないよ。最近袋麺にハマってるの、韓国の辛いやつ」
「つまりジャンクフード」
清瀬が小さくため息をつく。
「そういう大事なことをなぜ言わない。弁当くらい俺がつくります」
「だって、そう返ってくると思ったから。わたしが清瀬君の手を煩わせるわけにはいかないでしょ」
「お互い様です。現に俺もこうして時間をもらっている。お礼くらいさせてください。もし急ぎの用があるなら、この後届けに行きますが」
「うわ! 清瀬君ってこういう時本当に来るから……」
「当然です」
「ずるう……。キャンパスまで来てもらうわけにはいかないじゃない」
二人の押し問答は、清瀬に傾く形で収束したようだ。
「ちなみに今晩のメニューは野菜炒めと、冷奴と、酢の物と──」
「酢の物? わたし酢の物好き」
「おお、それはよかった。アオタケの皆はなぜか敬遠するからなあ。昨日のキュウリとワカメの和物なんか、かなりいい出来だったのに」
「あらま、もったいない。ちなみにお酢は何? うちは父方が甘酢で、母方が米酢なの。お酢変えるだけでもだいぶ食べやすくなるんじゃない? なんて、清瀬君はとっくに知ってるか」
「いえ、参考になります。なるほど甘酢……。アオタケで出す時は三杯酢を使うことが多いんですが、今日試してみようかな」
そのまま主婦顔負けの目利きで商品を選ぶ清瀬の後ろをなまえがついていく。店内を一周し、レジへ到着すると、「わたしが払う」と言わんばかりに、なまえが財布を取り出した。鼻差で競り負けた清瀬は、湿度の高い視線をなまえの手元へ送る。
「……先輩」
「いい」
「なまえ先輩」
「わたし、運転してもらったらガソリン代は全部出すって決めてるの。可愛い後輩に、先輩の顔を立ててもらいたいな」
秀逸な例えと、立場を利用したお願いに押し負けた清瀬は、渋々財布をしまった。
商品を通しながらそれらの会話を聞いていた葉菜子は、めずらしい清瀬の一面にくすくす笑みをこぼしてしまう。
特に竹青荘で清瀬が最高学年になってから、彼と対等にやりあう人間は少なくなった。練習を見た限り、住人たちも各々伝えたいことを素直に表現していたようだが、やはり清瀬の押しに真っ向から刃向かい、なおかつ勝てる人間はそういない。
「あ、そうだ。ハイジさん、あんな感じでよかったの? 今朝」
少女は質問を投げかけながら、青年に手渡されたキャベツの色艶を確認し、袋へ詰める。
「十分だ。選手っていうのは、ギャラリーがいるとパフォーマンスが上がるものなんだ。横で見てくれているだけで効果がある」
「それならよかった! やっと集まったんだもん。ハイジさんが言ってた十人」
「ああ、俺たちはただの十人じゃない──運命の十人なんだ」
力強く清瀬が頷く。堂々と語られた目標へ、彩度の高い想いが湧き上がった葉菜子は、
「叶うといいね。ハイジさんの夢。ずーっと言ってたから。皆で出たい、走りたいって」
と、胸前で拳を掲げた。
「叶うさ、四年も待ってたんだ。いいのが入ったんだろう? 聞いたぜ。自転車でも追いつけなかったって」
店奥で品出しをしていた父も顔を出す。商品の在庫チェックを終えたらしい。
「そう! すごかったあの人! 蔵原さんって有名な選手なの?」
「……さあ、どうだろうな」清瀬はあいまいに答える。
「なんにせよ楽しみだ。俺たちで力になれることがあったらなんでも言ってくれや」
レジ付近まで出てきた父が、青年の肩をぽんと叩いた。
「ありがとうございます」
「ちなみにハイジ、この美人は? 前からちょくちょくうちの店を使ってくれるから知ってるっちゃ知ってるんだが。知り合いだったのか」
「有村なまえさん。ハナちゃんと一緒に練習を手伝ってもらっているんです」
「おばあちゃんがうちの常連さんなんだって」
葉菜子が口を挟むと、父は「ああ! 有村のおばあちゃん! お孫さんか」目を見開いた。
「そういや、前におばあちゃんから少しだけ聞いたなあ。今は大学生だっけ? 寛政?」
突然の問いかけにも動じず、なまえは目を細めて微笑む。
「いえ、寛政大では。喜久井大をこの春卒業して、今は大学院に。周りが立派に就職している中、まだまだ学生をやらせてもらってます」
「喜久井大! しかも院生ときたか。おばあちゃんも自慢なはずだよ」
「いえいえ、そんな。学費を考えると、本当は国立に行きたいところだったんですが、理転したのが遅くて、受験に間に合わなくって。私立に通わせてくれている家族へ感謝しなきゃ……。ハナちゃんも文転理転する時は慎重にね」
なまえが困り眉ではにかみ、清瀬が「ご謙遜を」と独りごちる。流れる仕草で、なまえは軽く彼を小突いた。
父はそんな二人を愉快そうに眺め、「嬢ちゃんがついていてくれたら俺も楽できらあ。ハイジのことよろしく頼む。ついでに葉菜子の勉強も見てやってくれ」と笑う。
「うちの食卓含めて、これからもお世話になる機会たくさんあると思います。至らない点ありましたら遠慮なく教えてくださいね。ハナちゃんの勉強も、わたしに手伝えることあればぜひ!」なまえは丁寧に頭を下げた。
言葉使いこそ慎ましいが、仕草や表情が逐一自然体で懐っこく、年配へも距離の遠さを感じさせない。
先日の朝ジョグ待ち時間に尋ねたところ、彼女は研究室の中でも外部機関の出資で研究に取り組んでおり、それらの報告や、またその他事務的な作業でも年配と接する機会が多いらしい。清瀬とは異なる方向で、いちいちソツがないのはそのためだろう。
また、上への接し方のみならず、下に対する面倒見もかなりよいと思われる。今朝は、陸上競技について初心者の葉菜子へ、河川敷に現れる各部員の走りについて解説をしてくれた。
たとえば、とある部員は確かな基礎体力が見られること、とある部員は重い筋肉がついておらず体幹が良いこと、とある部員はフォームのバランスがよいこと──。
「──そういえば、なまえさんも陸上やってたの?」ふと、葉菜子は尋ねた。
なまえは突然の投げかけに一瞬目を丸くし、「うん、ちょっとだけね」と、微笑む。
「ハナちゃんに伝えそびれてたか。なまえ先輩は中学時代の先輩なんだよ。俺の一つ上の学年で、部活の主将でもあった」
清瀬の補足を受け、二人の距離感、呼びかけもろもろに合点のいった葉菜子は「そうなんだ」と手を打った。
会話の傍、エコバッグに一通りの食材を詰め終えた清瀬が、それらをまとめて左肩に背負う。なまえも荷物を引き取ろうとしたが、この件に関しては清瀬の方が一歩早かった。
「今日もいい買い物ができました。じゃあ、俺たちはこれで。引き続きよろしくお願いします」
「はい! また明日。なまえさんのおばあちゃんにもよろしくです!」
「ありがとう、ハナちゃん。またお世話になります、勝田さん」
「おうよ! またいつでも!」父の呼びかけに沿って、葉菜子は手を振って二人を送り出した。軽やかに揺れた栗色の毛先が店先を抜ける。
「あ、そうだ。久しぶりに勝負しませんか。アオタケまで競争」
「ええ!」
電柱にくくりつけたニラのリードを解きながら、清瀬がなまえに提案をはじめる。
「俺が中二の時以来ですね。お、ニラも参加するか? よし、よーし」
「きみはいつも急!」
「とか言って結局いつも付き合ってくれたじゃないですか、追加の一本。あ、先輩方向音痴でしょう。離れないで」
「このあたりはわたしの方が住んで長いんですけど……」
「先輩のテリトリーはどちらかと言えば成城側でしょう。祖師ヶ谷は俺の方がきっと詳しい」
嗜めるような口ぶりで、なまえが「やれやれ」と肩をすくめる。その仕草を都合よく了承と取った清瀬は、そのまま「よーいどん!」とスタートを切った。
「おお! 速いな、ニラ」
「あ、こら! せめて荷物半分ちょうだいよ! ハンデのつもり⁈」
「まさか!」
飼い犬に引っ張られる青年の背中を、なまえが追いかけていく。遠ざかる二人の影に、葉菜子は微笑んで「なんかハイジさん楽しそう」と漏らした。
呟きは、商店街を染めゆく橙と混ざり合い、春の風となって店の前をなぜていった。