一般的な核家族を思い浮かべて、それを標準よりも貧しくすればおおよそ私の実家になる。
普通の学校の、普通の学生。将来の夢は都庁の職員。抜群の運動センスもなければ、博識でもない。絶世の美女でもない。大きな幸福もない代わりに、大きな不幸もない。
せめて、石化前からの知り合いであれば。会話はなくとも同じ学園に在籍していれば。そんな接点すら存在しない。
私が私を一番よく分かっている。ありふれた存在が、持ちうる人にとっての特別になるのは難しい。殊更難しいのは特別の継続だ。御伽話の最後が結婚で終わるのは、そこが幸せのピークだからだと知っている。
いずれ手放すくらいなら、このまま手に入らない方がいい。この思いは限りなく祈りに近い痛みと、惨めさを伴い、私の心を侵食している。容器いっぱいに満たされたそれへ、めでたしめでたしと蓋をすれば、幕を引けるはずなのに。
図々しくも、エンドロールには至れない。
***
「……おせっかいは承知なんだけど、単刀直入に聞くね」
あのさ、最近龍水と何か話した?
突然の問いかけに、ふと動きを止めた。
現在、スタンリー等によるゼノ奪還に備え、要塞を強固にすべく作業が続いている。私のペアは羽京君。測量要員がまとまっているのは、チェルシーさんが地盤と遠目の外景からざっと推測した地形図の精緻化も兼ねているためだ。
「ちょこちょこ話すよ。最近だと仕掛け塔の設計についてとか」
「あー、うん。そうだよね」
羽京君は帽子のつばを持って、「僕の聞き方が悪かったな」と告げた。
「君とはものの考え方が近いと思ってる。だから、なんていうか。うん、分かるよ」
「……実は、私も羽京君が今何を言おうとしてるか分かったところ」
これは隠しても無駄なやつだ。負けました、の合図で細く長く息を吐き出す。
個人の問題をチームに持ち込むわけにはいかない。こじれた感情こそどうしようもないものの、見えなければそれはないものと同じだ。龍水君へは、他の皆と変わらない態度で接するよう心がけているつもりだった。
周囲の反応を見ても、基本的に気付かれてはいない、と思う。とはいえ、メンタリストや超絶聴力相手にも通じているかまでは、さすがに自信がない。ゲン君へは早々に観念し、北米行の船の中で気持ちを白状させられている。
「羽京君にもお見通しかあ……。もう皆にバレててそっとされてるとかはない?」
「その点は大丈夫。今ここにいるメンバーだと、気づいてるのは僕とゲンくらいじゃないかな」
「うーん、予想通り」
私は両手を上げ、完全降伏の姿勢をとった。
「それで、なまえは龍水のどこが好きなの?」
いつになく楽しそうな羽京君が突っ込んだ質問を述べる。
「もー、前にゲン君からも同じこと聞かれた。他人事だと思って……」
「あはは、ごめんごめん。やっと面と向かって聞けるからさ」
確かに、察されまいとしながらも気づかれてしまったのはこちらに非がある。むしろ、これまで素知らぬふりをしてくれていたことに感謝すべきなのかもしれない。
「……ゲン君に聞かれた時は、誰のものにもならそうなところって答えたんだけど」
そこで言い淀む。言葉の通りとはいえ、今ならもう少し深い答えを導き出せそうな気がしたのだ。
「尊敬……だけじゃないな。なんだろ、上手い表現が思いつかないけど、強いて言うなら、すごくびっくりしたから」
「びっくり……?」
作業の手を止め、羽京君が訝しげに首をひねる。どこまで言ってしまおうか、頭の中で旧現代の生活を思い浮かべる。
親子四人で住むにはいささか狭すぎる松戸の1LDK。弟とカーテンでワンルームを仕切り、陣地を分け合ったこと。およそ四畳のお城。壁にはバイト先でもらったリリアンのポスター。
「……私の家、お金周りが大変でね。借金こそないんだけど毎月が自転車操業で。私が小学生の時にお父さんが失業したせい。上司のミスを被ったって、ドラマとかでよくあるやつ」
その会社っていうのが、七海海輸の下請なんだ。
瞬間、それまで葉を揺らしていた微細な風がぴたりと止む。目の前の青年がごくりと喉を鳴らす音が鮮明に響いた。
「恨んではないんだよ。大変と不幸は、必ずしもイコールじゃないと思うから。でも、きっとどっかで穿った見方をしちゃってたんだろうなって思うの。初めて会った時なんて特に」
「……うん」
「そうしたら、信じられないくらい有能だし、かっこいいし、真っ直ぐだし、あと結構優しいし、可愛いところもあるし。そういうギャップを少しずつ知って、私が一方的にびっくりしたんだよ。それで、その驚きを恋だと思った。勝手にね」
体をこちらに向け、完全に聞き手の体制をとってくれていた羽京君は「そっか」とひとりごちるように告げた。
「いや、僕なんかが聞いていいのかなって。お父さんの話とか」
「さすがに大声では言えないけど隠してないから大丈夫。ニッキーは知ってるよ」
すっかり一息つくムードになってしまい、このまま休憩時間を兼ねてしまおうとカゴから二人分の水筒を取り出す。柑橘系の香りがする水で喉を潤すと、疲労と一緒に情けない願いが漏れた。
「……あーあ、龍水君が羽京君のことを好きなら良かった」
「……それは、いっそのことすぎない?」
隣に座る彼の、そこそこ真剣に引いた声色におかしさを覚えつつ、船長に相応しい理想をアウトプットする。
「もうこれからの人生で龍水君と会えない、これから二度と海に潜れない。どっちを選ぶか突きつけられた時、即答できない人。そういう大事な、他の選択肢を持ってる人。龍水君一人に寄り掛からない人」
ほら、羽京君みたいな。
本音を最後の一言で茶化す。元潜水艦乗りは、参ったなと、困った様子を見せた。
「しがない自衛官にすごい殺し文句を使うね、君は」
木漏れ日から漏れた光がゆらりと揺れて、羽京君の表情を半分照らす。見る人によって、天使にも悪魔にも見える、有名な絵画。その顔は私を嗜めるようにも、後押しするようにも捉えられた。
「……でも龍水はなまえのこと『欲しい』んじゃない?」
「龍水君は全員のことを『欲しいから好き』なんだよ。私は『好きだから欲しい』のに」
「はいはい。なまえがたまに哲学的なの嫌いじゃないよ」
トレードマークの帽子でパタパタと首元を仰ぎながら、半分ほど呆れた軽口。場を繕って伸びをすれば、木々の隙間に覗く青が目に飛び込んでくる。連想ゲームの要領で、空色を身にまとう御伽話の登場人物がよぎる。
彼女は一際足が小さかった。だからこそ、彼女は特別たり得た。
けれど、もしも王子が彼女の細かな傷に気がついていたのだとしたら。履き慣れていないガラスの靴で踊り明かし、擦り切れたその足に触れたとしたら。
王子が彼女を見つけた理由に、物語では触れられなかった小さな可能性を想像しては、捨てきれない恋心を疼かせている。