なまえという人間について考えると、出会い頭に抱いていた想像と、相反する点が多々あることに気づく。
たとえば、平均女性よりもやや高い身長に、すらりとした肢体を併せ持っている。その一方、非常に食べる。マグマよりも食べるといえば、その大食ぶりが伝わるだろうか。
たとえば、風鈴がそよいだような、繊細かつ、よく通る声をしている。その声質と、リリアン・ワインバーグの大ファンだという点から勝手に歌も上手いのかと思いきや、ポーカーフェイスの氷月が眉を顰めるほどの音痴だという。
たとえば、会話の節々から家族を大切にしていることがわかる。そういった人間は、輪を構成する自身にも価値を見出している場合が多いのではないだろうか。例に漏れず、なまえも自身を軽んじているわけではない。しかし、状況を俯瞰した結果、あっさり自らを捨て駒にすることがある。
たとえば、ものであったり、順番であったり、気前よく他人へ譲っている姿を見かける。けれど、いざ自身の名がラベル付けされた所有物は頑なに保持する。
たとえば、元から上がった口角も合間って、穏やかで優しそうな雰囲気を持っている。実際その通りの質だが、柔軟な思考を持っているかと言われれば、答えにやや迷う。おそらく、考えの違う他者は否定こそされない。しかし、きっと彼女は自身の軸と相入れなければそういうものとして受け入れる。外部要因によって思考が変化することが滅多にない。要するに頑固なのだ。
さて、そんな大食らいで、音痴で、犠打的で、意地っ張りで、頑固な彼女へ、どう確認をしたものか。何を? 決まっている。八年前の告白の返事だ。
胸に銃撃を受け、背中から沈んだ直後。倒壊する木々に掻き消されながら、俺の耳はある声をとらえた。
「……空君にはゲ……必要!」
間違えようのない、耳に馴染んだ声質。その凛とした響きは、つんざく射出に上書きされる。
ゲンの絶叫により、姿は見えないくせに、彼女のとった行動は容易く想像できて。比類なき文明の力が、薄い身体を貫いたのだとわかった。
斜め右隣、何かが落ちる音。手を伸ばせば、もしかしたら届くかもしれない。震える唇からは、驚くほど覇気のない、掠れた声が漏れる。
「……こんな時に、いや、こんな時だからこそ伝わるのかもしれんな」
すでに視界は機能していない。心臓へ冷えた刃が突き立てられ、タイムリミットを刻一刻と感じている。呼吸で腹が上下するたび、痛いというよりも寒い。
指先もかじかんでしまったかのように、感覚のほとんど失っていた。精一杯伸ばした腕が、何かに触れたような気がして、それだけを頼りに囁く。
「貴様が欲しい、心から」
瞼の裏は今や記憶のスクリーンだった。そこには、甲板に並び、束の間の休憩に興じる彼女の姿があった。華奢な骨格。日に焼け、赤くなった鼻の頭。少し高めの、芯がある優しい声音。
なまえが持つ特定の「どこか」に惚れたわけではない。細分化して理性的に説明しようとすればするほど、ピースがぽろぽろとこぼれ落ちていく。
「欲しい」理由ならばいくらでもある。たとえば復興を支えた「測量技術」、宝島や嵐の日に見せた咄嗟の「決断力」。
しかし、「好意」の理由を明確に言葉にするのは難しい。俺はきっと一個人の感情を持って、理性とは真逆の部分で彼女に惹かれていたのだ。だからこそ俺は、なまえを愛おしく思う気持ちを言語化できない。言葉にできない、というのが一番実在に近い。「全て」というのは簡単だが、その言葉を口から吐き出した途端、重みが失われるように思えた。それゆえに包括した想いを「欲しい」で表現してしまう。
言葉足らずと笑われるだろうか。確かに足りない。この世界には、この思いの丈を正確に表現する言葉が足りない。
「……答えは、目覚めた時に聞かせてくれ」
***
ロケットの構想と実作業は着々と進んでいた。
未だ検討中なのか。温度が正しく伝わっていないのか。そもそもの問いかけが届いていなかったのか。南米で目覚め数ヶ月経つも、なまえから一向に返事はなかった。
それとなく彼女を連れ出し、改めて二人きりで話すタイミングを見計らっていたものの、ロケットエンジン製作にあたりなまえがいかに重要な役割を任されているかを再認識するだけに終わった。インフラにおいて、測量という技術は重宝される。ゼノ、千空をはじめ、彼女の周囲は人の往来がひっきりなしだ。
そして、ついには明日、二種の船がこの地を出ていく。
俺は船長として世界へ旅立つ。その船には道案内を兼ねてチェルシーが乗り込む。なまえはこの地に残り、ロケットエンジン開発に向けて、組み立て場所の整備にあたることが決まっていた。
あと二日もないうちに、今以上に会話が困難となる。
「なまえ、少し時間をもらえるか?」
午後。作業場の拡大に向け、獣道とその周辺を物色していたのだろう。森の中で、ゲンと会話をしていた彼女を見つけた。
声をかける。こちらを伺う表情はややバツが悪そうだ。都合の良い主観という可能性はあるものの、ここまで来て、連れ出す理由にオブラートを被せる必要はない。
「貴様が欲しいと言った。その答えを、八年待っているわけだが」
「これまたすごいタイミングだねえ」
なまえの反応よりも先に、ゲンが含み笑いをこぼした。その顔から察するに、素知らぬふりをしているメンタリストは、俺の気配に気がついていたはずだ。
「ま、あとは二人でどうぞ」
木々の隙間をすり抜けて、ゲンはひらりと手を振る。
彼が姿を消した後、残されたなまえは「えーっと」だの「あの」だの、繋ぎ言葉をぽつぽつと呟き、押し寄せる静けさの邪魔を試みているようだった。
「……答えを聞きたい」
もう一度告げる。彼女がここまで来たであろう道は他でもない俺によって塞がれている。すれば、何らかの意思は聞き取れるはずだ。
「……まず、ごめん」
「それは拒絶か?」
「この『ごめん』は、待たせてごめんの『ごめん』かな。……言い訳してもいい?」
「嗚呼、構わないぞ」
「あの時の龍水君の声が、現実なのか、夢なのか、分からなかったの……。目覚めた後も『私に告白した?』とは聞けないし。さすがに図々しくて」
フゥン、と顎をなぞる。
「もし、夢じゃなかったとしても……」
なまえはそこで言葉を詰まらせた。辛抱強く沈黙に耐えると、彼女のはしばみ色の瞳が震える。
「言いたいことは変えられないから、言うべきかどうかを考えたの。……邪魔になるのがわかってて、『私も』なんて応えるほど子どもじゃないつもり」
咄嗟に追いかける俺の言葉を、彼女が「でも」と、強い口調で遮った。
「好きな人にそんな嬉しいこと言ってもらって気持ちを隠せるほど、私は大人じゃなかったな」
好きな人。
桜色の唇が告げた喩えは、自惚れではなく俺のことだ。かっと心臓を中心に体が高揚する。もどかしい熱が指先をめぐり、彼女の柔らかさを求めている。
彼女に向かって踏み出した瞬間、「ちょっ! 待って!」と、なまえが後ろずさった。
「……私、運動神経良くないからね」
神妙な顔で告げた保険に面食らう。今更そんなことか。
「はっはー! 愛らしいな、その時は俺が支えてやればいい」
「綺麗じゃないからね! スタイルとか私より良い人は世界中にたくさんいるから」
「言わせるな。女は皆美女だぜ。当然貴様もな」
「頭だって所詮は試験用の知識だし」
「その『所詮』にどれだけ俺たちが救われたか、改めて説明が必要か?」
「じゃ、じゃあ、性格も悪い。いちいちこんなこと言って、龍水くんを試してる」
「……悪い女は、つまるところいい女だろう。俺は大好きだ」
試している、だなんて言いながら、俯いているなまえの方が、おそらく緊張の面持ちであろうことを知っている。
「貴様に悪いところなんてない。強いて言えば『往生際の悪さ』くらいか」
大食らいで、音痴で、犠打的で、意地っ張りで、頑固だ。つまるところ、フランソワの料理を誰よりも美味そうに平らげ、鼻歌でさえ照れる姿は愛らしく、他者を思いやる姿は美しい。そして、深海を思わせる穏やかさと透明感の中で、意思の強さを併せ持つ。
「俺は貴様が欲しい」
「その『欲しい』は……『キスが欲しい』とか、『家族になりたい』と同じ『欲しい』?」
「なまえとキスがしたい、の『欲しい』だ」
彼女の顔が上がる。その目が俺を見据えた。
一定の距離を保っていた彼女の体が浮き、一歩を踏み出す。二歩目はすぐについてきた。
半ば転ぶような形で胸に飛び込んできた体を受け止めると、改めてその華奢さに驚く。
柔らかく熱を帯びた頬に手を添えると、囁くようになまえが告げた。
「……本当はね、八年前から。ううん、もっと前から私も」
続きの言葉は、あわせた唇同士の隙間に淡く溶けていった。