unmeasured 彼女の矜持

「それで、君らは俺のために妖術で働くわけだけどさ」
実はもう一つあるんだよね。
仕組まれたディールの席に着いていたモズが、最後の最後、去り際に切り出した条件。続いた台詞にあのゲンでさえ一瞬黙り込んだ。
ピリついた空間を問答無用で切り裂き、千空が交渉内容を要約する。
「……つまり、誰か一人寄越せっつーことだろ。俺らからすれば人質、テメーからすれば宰相への手土産になる。捕まった侵入者が情報を漏らしたことにすれば、信憑性が出るからな」
その説明にクロムが「はあ⁈」と、驚き半分、焦り半分の相槌を打った。しかし、その反響を意にも返さず、ニヤリと口角を釣り上げたモズが周囲を見渡す。
「んー、女の子がいいかな。非力な子が裏切るのはそれっぽい」
たとえばそこの。
値踏みするような瞳が、人員の中で最も小柄な少女に止まる。トレードマークの被り物の内側、表情は見えずとも息を呑んだのがわかった。
「顔が可愛ければお気に入りになれるかもね。まあ、見境ない年寄りだし、多少は手がつくかもだけど」
その先を嫌でも想像させる表現に、羽京が呻くようにして息を吐き出す。
しかし、モズの手がスイカの肩に触れる直前。少女を隠すように、無理やり体を滑り込ませる影があった。
先刻、クロム、羽京とともに目を覚ましたクラフト要員。体格のいい戦士の前にあって、彼女の背はいつも以上に華奢に見える。
にも関わらず、その声はひそやかさの中で凛と冴えていた。
「私が行く」
「……君が?」
モズの顔が若干戸惑う。自ら志願されるとは思っていなかったか。もしくは、彼が希望する容姿ではなかったか。
「なまえ!」
「ダメだよ、なまえちゃん!」
俺が呼びかけるのと同時に、杠が耐えきれないといった様子で一歩踏み出した。戦士の鋭い目が音の主を捉え、冷たく射抜く。
「なんだ、君も可愛いね」
杠の顔が洞窟の暗がりの中でも分かるほどに青ざめた。自身を抱きしめるようにしていた腕へぎゅっと力が入る。
しかし、先ほどのなまえがごとく、大樹が視線を切るように割って入り、自らの影に幼馴染を隠す。
「大丈夫だよ。私、この中で一番お姉さんだから」
あえて視線をモズに向けたまま、なまえが告げた。この場にある女性陣は、杠、スイカ、アマリリス。アマリリスとなまえは初対面のはずだから、明らかに島民であることを察し、人質候補の頭数から抜いたのかもしれない。
「どういうこと? もしかして経験豊富とか?」
残念そうになまえへ向き直ったモズが、彼女の顔を至近距離でじいっと見つめた。
「んー、まあいっか。及第点」
「……面と向かって失礼な」
剥き出しの腕をさすりながら、なまえが眉を顰めた。モズの表情は薄ら笑いのまま変化しない。そのまま当然のように彼女の肩を抱いてみせる。
「じゃあ決まり」
刹那、鋭い打撃が彼女の首筋に入った。かろうじて目で追えたのは腕を振り下ろすまでの動作で、実際の手刀は後ろ髪の揺れから察する他なかった。
さすがにこのタイミングは予想外だったようで、なまえの口から咳き込むような喘ぎが漏れる。ぐらりと地面に沈み込む体は、一切の意思がない。頭が岩肌に叩きつけられる寸前に腰を掴まれ、やや雑に担がれると、重力でぶらりと揺れる手足。
一泊遅れ、アマリリスが小さな悲鳴を上げた。
「適当に縛っておくね。抵抗したことにしないといけないから、もう少しだけ痛ぶるかもだけど」
極力顔に傷はつけないようにするから。
さも折衷案のような台詞を置いて、戦士はひらりとソユーズがつけたボートへ飛び乗った。

船のシルエットが霧の中に消えた後、ひとまずはこの場での皆殺しを避けた、ゲンの交渉を労うこととなった。
しかし、その喜びも束の間、輪の中にいない一人を思って全員が言葉少なになる。手を組む条件の話に持っていけたのはさすがの経験値だった。一方、最後の取引はあまりにも予想外で誰のせいでもなく、ないからこそ責任の所在を個々が背負っていた。
「結果的には最強の武力を手に入れたわけだが……」
「後宮潜入とは別の意味でバイヤーよね……。後ろ盾がない状況だし」
俺とゲンの言葉に、千空が宙を仰ぐ。
「いや、どうせ全員助けんだ。最初から何も変わってねえ」

***

なまえは、ずるい女だ。
旧現代を生きた全員が、単純に考えれば三七〇〇歳以上だと言うのに。彼女は自分が損をする場面で、遠慮する相手を納得させる材料に年齢の話を持ち出すことがある。
俺よりも一つだけ年上の女性。
一という数字はこんなにも大きいものだろうか。三百六十五日は、そんなに長いだろうか。三一五三万と六千秒先は、どれだけ遠くにあるのだろうか。
いや、これは無意味な思考だ。きっとそれは想像以上に大きくて、長くて、遠いのだ。だから未だに人類は時間の壁を越えられず、タイムマシンを夢見ている。

今後についての話を済ませ、各々が作業に散る。その最中、そっとマントの裾を小さな手に引かれた。被り物の下から聞こえる幼い声は、明らかに濡れている。
「……なまえ、腕をつねって我慢してたけど、すっごく震えてたんだよ」
脳裏に彼女が自分の腕をさすっていた様子が呼び起こされた。モズに次いでなまえの近くにいた少女は、わずかな震えを捉えることができたのだろう。スイカの肩に乗った罪悪感を思い、歯噛みする。
「本当は自分も怖いのに、スイカを庇ってくれたんだよ。自分はお姉さんだからって、あれはきっとスイカに言ってくれたんだよ……」
遥かに低い位置にある頭へ手をやる。被り物越しに数回撫でると、これまで堪えていたのだろうか。隙間から覗く赤い頬を水滴がボロボロと伝った。
「必ず、救い出す」
自身にも言い聞かせるように告げる。少女はわずかに頷き、やや躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「……龍水の手も、少し震えてるんだよ」

彼女の矜持 間話

「だってほら、いいことした仲じゃん?」
言葉を何か別の音に置き換えられるとしたら、その台詞はけたたましくガラスを割る音だろう。宝島の狂戦士ことモズちゃんの一言には、それほどの破壊力があった。
北米行きの船の中。不穏な空気に臆することなく、もしくはその雰囲気を感じ取ったからなのか「ちょっと」と、なまえちゃんが制止に入る。
「誤解を招く言い方やめてってば。あれは仕方なくなんでしょ?」
「そうだっけ? 随分積極的だったと思うけど」
含みのある表現のエレクトリカルパレード。楽しそうなモズちゃんに反し、なまえちゃんの顔は盛大に曇っている。
「君ねえ……人を揶揄うのも」
「いいじゃん。なんならもう一回しとく?」
軽い口調は一向に変わらない。真意の読めない調子で彼女の顎に無骨な手が添えられ、親指が唇をなぞる。と思いきや、即座に首を振って払われる。完全に警戒モードだ。
野次馬として、二人の間で起きた「いいこと」の正体をなんとなく察してしまう。けれど、二十を過ぎた大人として、聞かなかったことにする良識を持ち合わせてもいる。
ゆえに、問題はこの後だ。
「……フゥン」
いつのまにか甲板に出てきた龍水ちゃんが、それら一連の流れを見ていたことである。
この男、口数が少ない時の方が怖い。

こういう時はバーフランソワで一杯引っ掛けるに限る。波が穏やかだったことも幸いし、束の間の休憩時間をとった船長を連れ出すことはそこまで難しくなかった。
ベロベロとまではいかないまでも、多少気持ち良くなる程度であれば飲ませても支障はない。ほら、昔の海賊だって酒樽抱えて面舵いっぱいなんてやってたわけだし。
「狭い船の中だとさ、意外な組み合わせが見られると思わない?」
それとなく本題を持ちかける。
「氷月ちゃんとスイカちゃんとか、南ちゃんとクロムちゃんとか」
相槌を確認して、最後の一押し。
「……あと、モズちゃんとなまえちゃんとか」
龍水ちゃんは予想通りに無言で顎をなぞり、しばし置いて「なるほど」と目を細めた。
「ゲン、あえて貴様に乗ろう」
本人には聞くのは流石に野暮だからな、と続く。
「そりゃあね、なまえちゃんも興味本位で聞かれたくないだろうし。あと、秩序風紀の維持は船長の義務なんでしょ?」
付け足した理由は彼への免罪符だ。酔いが覚めて今夜を思い返した時、自分の発言に違和感を持たないように。いまだ無自覚な御曹司へ、せめてもの情けである。
なまえちゃんがこれまで発した台詞の断片、より詳しい事情を聞いたと思われる女性陣の反応、モズちゃんの態度など全て包括し、おおよそ起きたことの検討はついている。伊達にメンタリストを名乗っていない。
たとえば、モズちゃん目線でこんな話。

***

ちょっかいをかけていいと言われれば遠慮なく手こそ出すものの、わざわざつまみ食いするほどではない。初見は、その程度の印象だった。コハクちゃんやアマリリスちゃんのような、人目を引く美人と違ったタイプだ。
根元と毛先の色が不自然に異なる髪は、良くも悪くも目立つ。少なくともこの島では見かけたことがない。案の定、侵入者の仲間と言って差し出した際、トントン拍子でイバラの信用を獲得できた。
ここまで済んでしまえばあとは簡単だ。「仲間の情報を吐け」と詰問しはじめた宰相を適当にのせたり、騙くらかしたりしていればいい。
十数時間に及ぶ尋問が終了し、石垣の牢の中、壁に背をつけながらぐったりと瞼を閉じている人質の姿を覗く。
右足首に紐が結えられ、もう一方の先端ははめ殺しの柵に固定されている。警備が数人体制で常駐しており、隙を縫うことは不可能だろう。もちろん俺が手助けすれば容易いが、そんなことはまずあり得ない。
万が一逃げ出したとしても、あの怪我ではそう遠くへ行けまいと分かっている。彼女の左足首が、尋問の終盤であっさり折られたためだ。さすがに少し不憫だったけれど、そういう目的で連れてこられたのだから仕方ない。
「これ」
牢の中へ滑り込み、水の入った木瓶と、木の実やら食用草やらをすりつぶしたペーストを半ば投げるように置く。
「生かさず殺さず、って言うのも命令なんだよね」
呼びかけに応じ、こちらを見上げるはしばみ色の瞳には、出会った時から光が宿ったままだ。精一杯反発的な表情を作っているつもりなのだろうが、元来の顔立ちが優しすぎるせいか迫力はない。
「……手、解いてもらえる?」
「あー……面倒臭いな」
彼女の両手首は背中側できつく結ばれ、右足首と同様に柵へ繋がれていた。両手両足、体勢まで不自由では悠長に食事とはいかないだろう。
また、斜め上から俯瞰することで、すらりとした体躯のわりに、出るべき部分の膨らみに意外にも質量があるとわかる。
「食べさせてあげよっか」
「……結構」
しゃがんだ勢いで彼女の否定を唇ごと塞いだ。「ぐ」と漏れる不細工な声。全然経験豊富じゃないじゃん、と先日の発言を回想する。
「ちょっ」
何か言いかけたところ、次は水を含んで塞ぐ。鼻をつまむと、呼吸を求めて口が開くため、その隙間に唾液と併せて流し込む。
おかしなところに水分が入ったのか、咳き込む彼女に今度はペーストを送り込む。赤紫に腫れ上がる左足首を突くと、大きく目を見開いて、音なく悲鳴があがる。
手持ち無沙汰な腕を服の中へ侵入させ、脇腹をなぞった。彼女が俺の手を避けてのけぞれば、鎖骨下、二つの膨らみが布越しに強調される。うん、眺めとしては悪くない。
十数回も補助を繰り返せば、皿と木瓶はすっかり空となった。彼女の顔、特に口周りは飲み込めきれなかった粉やら、こぼれ落ちた唾液やらで汚れている。
「やっぱりこっちの方が面倒だったな。次からは外してあげるから、自分で食べてよ」
割れた前髪の隙間からこちらを射る彼女は、無言のままだ。
「何? もしかして怒ってる?」
「……こういう経験をするのが他の誰かじゃなくて良かった、って思っただけ」
ようやく応じた瞳の中には、先ほどと変わらず一筋の光が灯っていた。

***

「……あくまで俺の想像だけどね」
「そのわりには随分とリアルな話だったな」
龍水ちゃんがほんのり赤い頬で呻くように告げた。思いの外進んでいた酒のせいで、やや目が潤んでいる。
「そろそろ休みましょう、龍水様」
バーカウンターの中から、フランソワちゃんの様子を窺うような声色。もー、と机へ突っ伏したままの船長を揺すりながら、目が合った執事に僅かな笑みを返される。
これ、フランソワちゃんもわかっていて飲ませたやつだ。「船上でも息抜きは必要ですから」なんて落ち着いた声色が聞こえてきそうで、思わず俺も詐欺師特有のペラペラな笑いを浮かべたものだった。