unmeasured それは最後に相応しい

雲一つない新月の夜。
東には数千年前と変わらず、天の川が伸びている。織姫と彦星を隔てる長い長い川だ。
高校時代、地学の先生が「天の川は銀河を内側から見た姿」と言っていたっけ。内側とは言っても、太陽系は中心からやや外れた位置にあるらしく、銀河をぐるりと見渡せる構造ではないらしい。
地球のどこに住んでいるかだけで争いの火種になり得るのに、銀河のどこにいるかだなんて。さすがにスケールが大きすぎる。
ただ、その事実を知ったこと自体に躊躇いがないのは、「無知」の方が怖いと、知っているからに他ならない。
「ねえ、宇宙と海、どっちが怖い?」
「ずいぶんと急な問いだな」
隣を歩いていた龍水君が苦笑する。
「三七〇〇年前からの大難問なんだよ、これ。有識者が話し合っても、毎回結論が出なかったんだから」
「ほう」
「羽京君は悩んでたけど、やっぱり宇宙の方が怖いって。大気がないと音がしないから」
「らしい答えだ」
顎を石化痕で化粧された右手でなぞり、フゥンと声を漏らす。
「怖い……怖いか」
「うん、怖い方」
「俺は、この答えが時の経過で変わるものだと思っている。それを踏まえたとすれば、今この段階では」
龍水君は指先を頭上へと向けた。
「まだ行ったことがないからな、想像の余地だ」
「そうだね、『まだ』なだけ」
一ヶ月後、三人のクルーを乗せたロケットを打ち上げる。有事に備え、パイロットの訓練を続けている龍水君に、声がかかる可能性は少なくない。
そうでなくとも、近いうちに龍水君は必ず宇宙に行くだろう。
このストーンワールドで、多くの信頼を集める大きな背中をまぶたの裏に映す。彼のことを想う大勢と一緒に。
そこで思わず、この瞬間、彼と二人きりである贅沢を、さめざめと自覚した。
復活者は日に日に増えている。
インターネットが実用化されて、距離にとらわれないコミュニケーションも可能になった。物流、復興計画を取り仕切る龍水君はその恩恵をもろに受けているはずだ。
常に複数人が彼を囲み、指示を仰ぎ、時に意見を交わす。
それなのに今は、足音も、息遣いも、私たちのものだけだ。下げているランプ以外に光源はなく、世界が照らされた範囲に狭まったようにすら感じた。
「……龍水君の苗字、いいよね」
互いに指を絡め、ふと呟く。隣の七海姓がなぜか可笑しそうに笑った。
「ほら、七つの海が苗字に入ってるって壮大だし、声に出した時の音も可愛いし」
「つまり、なまえは俺の苗字が欲しいと?」
「うん、欲しい」
間髪入れずに返事をする。繋げた手へ、わずかに力が入った。

***

宇宙に飛び立つまで、旧現代の飛行士は三週間外界から隔離されたと聞く。これは、宇宙船内に菌やウイルスを持ち込まないようにする措置だ。
今回は、クルーがロケットの仕上げに欠かせない科学者であったり、ギリギリまで訓練を行う点から、ここまで厳重な管理はされない。
けれど、出発三週間を切れば、ひとつひとつの行動に責任が伴う。要するに、火遊びはほどほどにということだ。
「龍水君は明日から北米なんだっけ」
「嗚呼、貴様はチェルシーとフィールドワークだったな」
「当たり、今回はアジア圏を中心にまわるから、わりと近場なの」
「となると、次に日本で会えるのは打ち上げの直前か」
ベッドに腰掛けると、木が小さく軋む。
「気にするな、人払いは済ませてある」
頰に熱い指先。吐息のかかる距離で囁かれ、心臓が早鐘を鳴らす。私は龍水君の伏せた目に弱い。
「今日は……私が嫌って言ってもやめないで。本当に嫌なわけじゃないから」
「その言葉、撤回するなら今のうちだぞ」
「しないよ。一昨日から言おうって決めてた」
「雰囲気に押されたわけじゃないんだな」
「忘れてるかもしれないけど、私龍水君より年上なんだからね。自分の言葉に責任くらい持てます」
「ん、わかった」
苦笑した龍水君は、私の左手を掬い、うやうやしく薬指へ口付けた。
先日、贈られたばかりの婚約指輪。
ジョエルとカセキが、作業の合間につくってくれたとのこと。さすがに貴重なプラチナを使うわけにはいかず、金でできたものだけど、プラチナに次ぐ重要資源に変わりない。
石化装置の電池として散々振り回されてきた人工ダイヤが、綺麗に形成されて中央にはめ込まれている。
どうやってサイズを調べたのか尋ねたけれど、それはは野暮だと教えてくれなかった。
ちなみに、航海の機会が私よりもずっと多い龍水君は、革紐を使って首から指輪を下げている。旧時代ほど純度の高い金ではないから、錆びないよう気を遣っているのだそうだ。
「これ、宇宙にも持っていけるの?」
「ああ。千空の父等が残した資源の中にも、天然のダイヤがあったと聞く。クルーの持ち物だろうな」
私の指に再度口付ける。
そして、絡まった視線がどちらからともなく引かれ、唇を重ねた。
気がつけば、私の頭はベッドに埋まり、彼に覆いかぶさられる格好となっていた。
龍水君の綺麗な髪が、身じろぎするたび顔を撫でる。首の後ろに回した腕に、汗が伝った。
粘膜同士を擦り合わせるのは気持ちがいい。
私の口腔を荒らす彼の舌が、さっきから口蓋を優しく刺激してくる。背中がゾクゾクして、抵抗を試みるものの、下唇ごと舌を甘噛みされてはなすすべがない。
漏らした吐息を奪うように、伸ばした舌を吸われる。にやりと微笑む口元へ再度齧り付くと、待っていましたとばかりに、ねぶられた。
くっついた舌先が互いの間で離れ、銀色の糸を垂らす。数秒前まで酸素を欲していたのに、今はもう彼の熱が名残惜しい。

「飛行士にだけこっそりと配布された」
今週頭、その「もの」の存在を龍水君に明かされた。
「ゴムだ」
「ゴム……?」
南米で活躍した長靴が頭をよぎり、数秒遅れて彼の言う「ゴム」がいわゆるセーフティだと気がつく。
古来のエジプトでは蜂蜜で膣内に蓋を作ったらしいとか、代替法についての知見が深まりつつあった身としては、いきなりの現物に驚いてしまう。
「あれ? 待って、つまり千空君とかスタンリーさんも?」
「他のメンバーについては不明だが……ゼノが渡しているかもしれんな」
千空君の相手は科学以外に思いつかないし、コハクちゃんは渡されたものが何かもわかっていなさそうだ。スタンリーさんについては、なんだか考えるだけで照れてしまう。
「危険が伴う分、心残りを少しでもなくせと言うことだろう」
さて、ここでようやく本題だが。
龍水君はそっと私の腰を抱き、囁いた。
「直近、貴様の夜の予定が聞きたい」
「せっかく龍水君と同じ場所でキャンプしてるのに、私が予定を入れると思う?」
強引に手を取ってくれてもいいのに。こういう部分は律儀な婚約者が可笑しい。
「そうか……じゃあ、五日後にしよう。その日は二十時以降完全にあけていたはずだ」
「うん、わかった。えーっと」
この後に適切なのは、楽しみにしているね、ではない。待ち遠しい、も違うような気がする。
「……緊張しちゃうな」
結果的に出てきたのは、なんとも情けない一言だった。
龍水君はふっと微笑んで。
「俺に任せておけ」
私の髪をすくって口付けると、ひらり踵を返した。

たっぷり時間をかけて入口をほぐされる。入念な愛撫によって「もういいよ」と何度伝えても、探しにきてくれない、かくれんぼにやたらとハンデを与えられた子どものような気持ちになった。ここまでくると恥ずかしさよりもいたたまれなさが勝つ。
「も、もういいってば……」
「潤滑油がないからな、濡れているに越したことはない」
私の中に入っていた龍水君の長い指が月明かりで光る。ぬるりと指の股に滑り落ちたそれを舐め取られ、私は麻のシーツに顔を埋めた。
人払いを済ませた、という龍水君の言葉通り、水音、二人分の呼吸、衣擦れの音が響く室内。
「借りるぞ」
龍水君が再度私の入口を指でなぞり、愛液を掬い取った。それを陰茎に纏わせ、その滑りでゴムを装着していく。
熱った頭は思考がすんなり回らず、ぼーっとその様子を追ってしまう。
「あまり見てくれるなよ」
龍水君にしては珍しく、若干照れの含まれた声。
「……挿れるぞ」
「うん」
ほぼ吐息のような返事をして、大きく開脚した私の膝を押さえながら、陰茎を大陰唇に擦り付ける。熱くて、突起を頭の段差が掠めて、これだけでも気持ちがいい。
数回なぞった後、一点に先が当てられる。腰がゆっくり動き、待ちきれないと私の中が彼を求める。
「熱いな」
慎重に進めているであろう彼が、私の胸元に汗を垂らしてうめいた。
正直太いし、きついし、やっぱり痛い。指三本の太さを雄に超えてくる。十分な硬さがなければ、途中で止まっていたかもしれない。私はゆっくり息を吐く、吸うを繰り返しながら、じりじりと中を埋める質量を感じていた。
「入った」
そう告げた龍水君が、腰を丸め私の額にキスをする。まぶたを開けると、目尻から水滴が頬を伝い、私は自分の目が潤んでいたことに気がついた。
しばらく慣らしてくれるようで、龍水君は位置を変えずに私の顔にキスを降らせる。
「痛むか?」
「ちょっと。でも、痛い方がいいな。記憶に残りそうだから」
「これだから貴様は」
汗の伝う前髪をかきあげ、オールバックにした龍水君は口角を上げた。
「そっちこそ、ちゃんと気持ちいい?」
「嗚呼、頭がおかしくなりそうだ」
腹筋がふるふると時折震えているのは、動くのを我慢しているためだろうか。
「なまえのここまで俺がいる」
ふいに下腹部を優しくなぞられた。臍のあたりをくすぐるようにされ腰が跳ねる。その動きで、中が擦れて鼻にかかった声も漏れた。
ぐっとまではいかないものの、押されていることがわかる程度の力で子宮のあたりを圧迫される。
狭くなった内臓は、彼の形をより感じて、私は「あぁ……」と自分でも驚くほど甘ったるい喘ぎをこぼしていた。
「可愛いな」
ふと、前触れなく耳元で囁かれた言葉。その声が龍水君のものだと理解するよりも早く、体が反応してしまう。散々焦らされ、いっぱいいっぱいになっていたダムが決壊してしまう。
腰が浮き、震えて、力なく崩れる。一度弛緩した太腿がやたらと重い。
「や、やめてよ……」
「何をだ?」
「か、可愛いとか」
龍水君は他者を褒める。けれどそのボキャブラリーは内面や能力に向けられることが多く、外見的な要素は例えば「美女」だとか、誰にでも等しく使われることが多い。
だからこそ、耳元で、掠れた声で、それが私だけに向けられたものだなんて、胸が高鳴るどころじゃない。それに、自分の見てくれなんて、自分が一番よく知っている。
「フゥン」
手のひらで汗を拭った龍水君は、シニカルな笑みを浮かべて私の耳元に改めて口を寄せた。ふうっと息を吹きかけられ、それだけで肌がピクピク連動してしまう。
「……なまえ」
「な」
「今日、貴様の『やめて』は無効だったな」
確かに言った。言ったけれど、それは最後までできないぺっティングで、消化不良であろう龍水君に気持ちよくなって欲しくて、が理由だ。こんな場面で使われることは想定していない。
「俺は、貴様が愛おしい」
続く砂糖漬けの言葉。下半身が中の物量に慣れてきて、痛みが和らぎ、じいんとした余韻に変わりつつある。
その中でひたすら囁かれる甘い台詞は麻薬だ。かけられた箇所から脳をめぐり、快感を増幅させる。揺さぶられながら、私は漏れる声を抑えることで精一杯だった。

***

「二年前の意趣返しだな」
後始末を済ませ、改めてベッドに潜り込むと、月明かりの中で龍水君がそんなことを告げた。
「二年前って、ロケットエンジンが完成したくらい?」
「そうだな、貴様が日本に帰ってきて……夜、花田仁姫に送られた日のことだ」
記憶を探すも、なかなかお目当てに辿り着けない。だいぶ酔っていたからな、と彼が笑う。同時に枕にしていた右腕を畳み、私を引き寄せる。
起き抜け、フランソワさんと遭遇することも考え、キャミソールの寝巻きに着替えた。一方、龍水君は上半身裸のままだ。彼の胸の皮膚に頬が触れると、先ほどの行為を思い出してしまい、心臓が早鐘を鳴らす。
「意趣返し……私、何かやらかした?」
「いや、俺がただ骨抜きにされただけだ」
「ええ……」
いつもより静かに笑って、触れるだけのキス。龍水君が両腕を私の背中に回す。私も彼の広い背中に手を伸ばす。
溶け合っていく体温に微睡み、ぼんやりとした思考で浅い夢を見た。
目の前に、四人目の飛行士としてロケットに乗り込む彼の背中があった。今から何をしようとしているのか、分からないはずなのに私は全てを知っている。
伝えたい思いは山ほどあった。けれど、彼が欲しい言葉はただ一つであると、夢の中の私はそれすらも知っていた。
「いってらっしゃい、船長」
声と同時に、どこかで飛沫があがったような気がして、なぜだろう。星を見上げながら、水の底へゆっくりと沈む自分の姿が見えた。
周囲の全てが暗く、黒い。私の手は、圧力で軋みながら、冷たい水温に感覚を失いながら、それでも変えがたい誰かを探している。
宇宙の果てでも、深海の奥でも、もう二度とその人に会えないとしても。
その言葉はきっと最後に相応しい。